『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.453

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爰に蘆名累代乃家臣松本圖書助と言者有、彼の父病死して、其子七歳にて, 責入、城中散々に切廻る、此節盛隆、盛〓を凌かんため、城東の羽黒山東光寺, 十六歳に成比、盛隆男色の寵愛有て、殊之外に彼太郎を近幸せらるゝ、又其, 家督をつき、松本太郎と言けるか、盛長に從ひ、容顏美麗乃性禀なりれ、彼太郎, 閉、主從八百餘人楯籠、剩城下の家を燒散さんとて、雜兵四拾五十人打て出, 六月十三日、下總、太郎同心に起て、家人八百人餘引具し、不意に黒川の城へ, 是を洩聞て、下總を深ク惡と、太郎を妬憤れと、既に兩人共に〓害有へきと内, 本、栗村、城中に防き戰ふ者も來く、難なく城中へ押入て、四方の門を堅固に, 々思ひ給へり、太郎、盛隆の氣色悟り知り、かふて下總に言合て、天正十二年, 林甚次郎、森代文次郎、大場平五郎と言者三人を付置まいらすると也、扨松, 比笈川と言所を知行せし栗村下總と言者も、彼松本太郎に思寄事有、盛隆, と言所へ打出給、酒宴を遊興の〓中也、折節城内に有合者は少し、偶出向者, をは、逆徒大勢取籠て討果の間、防き戰ふ者〓し、かゝる所に、本名右衞門と, 言者奧方へ走入、盛隆の御簾中を負出し、米藏に隱入れ、常に召仕し兒小姓, 政宗公御軍記〕乾伊達の御家と葦名乃家御先代御合戰并御縁邊之哀, 關係ニテ, フ男色ノ, 下總モ思, 寵愛ス, 盛隆行輔, フ行輔ニ, 盛隆下總, ヲ惡ム, 寄ス, 寄, 天正十二年六月十三日, 四五三

頭注

  • 關係ニテ
  • フ男色ノ
  • 下總モ思
  • 寵愛ス
  • 盛隆行輔
  • フ行輔ニ
  • 盛隆下總
  • ヲ惡ム
  • 寄ス

  • 天正十二年六月十三日

ノンブル

  • 四五三

注記 (27)

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