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たのである。, つたのである。時に熊本城は籠城五旬の久しきに亙り、糧餉彈藥は殆んど盡, 頑守して讓らず、激戰は隨所に展開せられた。仍つて陸軍中將黒田清隆も亦, き果てたので、少佐奧保鞏は敢然一隊を率ゐて〓出し、宇土の官軍に急を報じ, た。清隆は急遽進撃を開始して、四月十四日熊本城に入つたが、翌日高瀬口の, し、九月二十四日總攻撃を開始した。時に賊軍の數は僅か三百に過ぎず、隆盛, て三田井に出で、鹿兒島に歸つて城山に據つたので、官軍は追撃して之を包圍, 參軍に任ぜられ、別働軍を率ゐて海路八代に上陸し、賊の背後を衝くこととな, り南下して、先づ吉次嶺に國幹を殪したが、賊軍亦植木・田原坂・山鹿一帶の地を, 井村に圍むに至つた。然るに八月十八日夜、隆盛等は可愛嶽の峻嶮を〓破し, 月二十四日には都城を、同月三十一日には宮崎・佐土原を夫々陷れ、遂に敵を長, 官軍も亦來り會して南北の連絡は成り、賊は遠く人吉方面に遁れ去るに至つ, を始めとして桐野利秋・村田新八・池上四郎・邊見十郎太・別府晉介等百五十人は, 官軍は熊本城の急を救ふや、直ちに賊軍を追撃して、六月一日には人吉を、七, 城山落城, 役の鎭定, と西南の, 第二十二編封建制度の撒廢, 八〇〇
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- 城山落城
- 役の鎭定
- と西南の
柱
- 第二十二編封建制度の撒廢
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- 八〇〇
注記 (19)
- 961,562,50,345たのである。
- 1401,563,62,2328つたのである。時に熊本城は籠城五旬の久しきに亙り、糧餉彈藥は殆んど盡
- 1628,552,65,2341頑守して讓らず、激戰は隨所に展開せられた。仍つて陸軍中將黒田清隆も亦
- 1286,555,64,2332き果てたので、少佐奧保鞏は敢然一隊を率ゐて〓出し、宇土の官軍に急を報じ
- 1174,562,64,2320た。清隆は急遽進撃を開始して、四月十四日熊本城に入つたが、翌日高瀬口の
- 373,561,67,2326し、九月二十四日總攻撃を開始した。時に賊軍の數は僅か三百に過ぎず、隆盛
- 486,561,66,2330て三田井に出で、鹿兒島に歸つて城山に據つたので、官軍は追撃して之を包圍
- 1515,552,64,2337參軍に任ぜられ、別働軍を率ゐて海路八代に上陸し、賊の背後を衝くこととな
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- 600,554,68,2332井村に圍むに至つた。然るに八月十八日夜、隆盛等は可愛嶽の峻嶮を〓破し
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