『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.379

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田、赤井、福屋は、其命に應し、城をすてゝ吉岡にいたる、茲矩、獨下知にした, に入て、幸盛、茲矩にわかれを告, かはす、西國肝要の城を守るき、家の面目、士の本意なり、敵大軍なりとも, く茲矩に屬す、八年の春、太閤因幡國に出張し、武田源五郎某、赤井五郎忠, 家、福屋彦太郎某、をよひ茲矩四人をして、同國鹿野城を守らしむるのと, かれらす此城にありず討死すへし、難にのそみていやしくもまぬかる, あけんとす、杉原、荒木等、吉岡に著陣し、使を鹿野に馳て、太閤の旨を告、武, 等、大軍をもつて、鳥取城をまもるにより、十月、太閤、杉原七郎左衞門家次, 荒木平大夫某、神子田半左衞門某等十三組をつかはし、鹿野の城兵を引, ころ、毛利の部將吉川式部少輔隆久、森下出羽入道道與、中村對馬守春次, しみ、夜半に城を出、高倉の陣營にかへり、幸盛か忠誠の志を告、太閤、茲矩, か手をとつて泣ていはく、必汝に雲州をあたへんと、翌日、幸盛切腹し、城, 中の兵退散せり、これよりのち、幸盛にしたかふところの士卒、ことこと, て諫むといへとも、わか一言たかふへからすとて、つゐにしたかはす、夜, をまつたうすへし、汝高倉の陣に歸りて、この趣を告へしとれり、茲矩強, 互に手をとりてなかきわかれをお, 慶長十七年正月二十六日, ○中, 略, 鹿野城ヲ, 幸盛トノ, 固守ス, 別レ, 三七九

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  • ○中

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  • 鹿野城ヲ
  • 幸盛トノ
  • 固守ス
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  • 三七九

注記 (24)

  • 507,700,63,2136田、赤井、福屋は、其命に應し、城をすてゝ吉岡にいたる、茲矩、獨下知にした
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