『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.377

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た上方におもむき、織田右府の〓下に屬せむことをこふ、右府、ひさしく, し、同國高倉山に陣す、茲矩これにしたかふ, せす、右府、城介信忠をして、これを征伐せらる、光秀先鋒たり、すてにして, 信貴城を攻るのとき、幸盛をよひ茲矩、下知をまたすして、進むて塀をの, る、城兵川合某、鎗をもつて幸盛をつく、幸盛これを避て、川合と組、ともに, にせめいり、國中過半なひきしたかふ、則幸盛をして、上月城を守らしめ, て、西國の押とれし、太閤き安土に歸るのところ、毛利輝元、五萬餘騎を率, その勇名をきけるかゆへに、丹波國〓井の郷にをいて、三千人の月俸を, を征伐すること、數年にをよふといへとも、平治せさるを見て、功の速に, 岸に落、茲矩はしり來つて川合か首をとる、そのゝち、幸盛、光秀か、丹波國, 遂さらんことを慮り、右府に請て、豐臣太閤に屬す、六年の春、太閤播磨國, ゐて、上月城を圍む、太閤これを救はんかため、黒田孝高とゝもに兵を發, 武勇をしたひて、茲矩をして其稱號をつかしめしれり、そのゝち、幸盛ま, 太閤、幸盛か力盡て、戰死せむことをあはれみ、茲矩を, あたへ、明智光秀に屬せらる、このとき松永久秀、信貴城にありて、命に應, ○中略、秀吉援兵ヲ信長ニ請, リ、援兵ヲ出サヾリ, ヒ信長、佐久間信盛ノ諌ニヨ, シコト二カヽル、, 慶長十七年正月二十六日, 三七七

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  • ○中略、秀吉援兵ヲ信長ニ請
  • リ、援兵ヲ出サヾリ
  • ヒ信長、佐久間信盛ノ諌ニヨ
  • シコト二カヽル、

  • 慶長十七年正月二十六日

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  • 三七七

注記 (21)

  • 1777,727,58,2137た上方におもむき、織田右府の〓下に屬せむことをこふ、右府、ひさしく
  • 378,717,55,1281し、同國高倉山に陣す、茲矩これにしたかふ
  • 1426,729,58,2129せす、右府、城介信忠をして、これを征伐せらる、光秀先鋒たり、すてにして
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  • 1193,720,59,2137る、城兵川合某、鎗をもつて幸盛をつく、幸盛これを避て、川合と組、ともに
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