『大日本史料』 11編 8 天正12年8月 p.67

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置、旗本を以て順慶に懸向ひ、合戰被仕所に、十郎も城戸をひらき、人數を, 々に手遣被仕候、然共合戰は無之、足輕迫合計こ候、筒井の城と松永番勢, はらひ〓て出、強く働申故、松永押の人數ことえす、南都の方へ敗軍仕候, 御押よせ候共、中々即時と落去は仕間敷候、左候得は、後難も如何と候間、, を頼被申、御味方仕り、上方筋之儀忠勤を可仕之旨被申候、御滿足之由御, 返答にて候、其内に龍の市の東、南都ゟ辰巳の山を城に築き、多門えは日, え可引取と被仕候得共、道筋を被切申故、本道筋ゟ引取被申事不成して、, 南都の未申の方、京バテと申脇道へ懸り、町口に火を懸、其烟のまきれに、, 先是に城を御取、暫く御座候へて、扨信長公え御味方被遊、信長公を後詰, こ被成、松永を御打果可有之由申に付て、扨信長公え取次こは、明智光秀, 漸々多門え引取被申候、其時松永歴々の者共討死仕候、夫ゟ順慶は多門, へ押寄、可責詰と被申候得共、嶋左近、松永右近兩人申候は、たゝ今多門え, を追捨、松永旗本へ横鑓につき懸り申故、久秀人數も惣敗軍に及ふ、多門, 永殿に對し候て逆心、順慶の後詰こ相從申故、松永も龍の市の城を押へ, の山へ被參、其上こ郡山の城主、小泉の城主、其外順慶一門の歴々悉く松, 天正十二年八月十一日, 光秀ニ依, リテ信長, 順慶明智, ニ從フ, 久秀敗ル, 六七

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  • 光秀ニ依
  • リテ信長
  • 順慶明智
  • ニ從フ
  • 久秀敗ル

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  • 六七

注記 (22)

  • 1698,687,60,2127置、旗本を以て順慶に懸向ひ、合戰被仕所に、十郎も城戸をひらき、人數を
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