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いへとも、曾て御承引なし、然とも信雄理を盡して〓に御頼みゆへ、やむ事を得す, して、其旨にしたかひ給ふ、秀吉大に悦て、則和談のしるしに、太神君の御子の内、, 擧世腹非之、, 本多重次子仙千代從之、, 何こも壹人養子と成申置旨盡給ふによつて、およし丸を可遣之旨御約諾あり、十二月, 下旬、およし丸はしめて大坂におもむき給ふ、此時石川伯耆守二男勝千代・本多重次, 秀吉信雄に因て、家康公えの和議を求め給ふと, 秀吉公養於義丸而愛之、乃授羽柴氏曁秀之字、以號羽柴秀康、實質之也、, の息仙千代御供にて上り給ふ、秀吉姓名を授給ひて羽柴秀康と名乘らせ給ひ、御寵愛, 此尚然、斯時於義丸俶粧既發軫、有窺大神君之命、暫〓參州之民家、果自京・大坂・, 年爲日本之武將、而請〓見、本多重次及眞瀬萬休等司事、而饗之矮屋、人多而賑榮不, 堺・奈良醫陰寺菴巨冨達藝之輩悉下向、集彼家、或賀於義丸之被養于秀吉公、或祝他, 〔越前黄門年譜〕, 今按、時仙千代十三歳、後號飛騨守成重、世傳、先是大神君爲於義丸授秣領壹萬石、至, 可言、斯時於義丸始習謠於此云云、, 天正十二年十二月十二日, 和スルコトニ力ヽル, ○上略、秀吉、信雄媾, 跡異事ナシ、, ○越前黄門事, 養子ナレド, 天正十二年十二月十二日
割注
- 和スルコトニ力ヽル
- ○上略、秀吉、信雄媾
- 跡異事ナシ、
- ○越前黄門事
頭注
- 養子ナレド
柱
- 天正十二年十二月十二日
注記 (22)
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