『大日本史料』 11編 5 天正11年8月 p.739

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淺井田宮丸、瀧川三郎兵衞四人は、智勇之譽レ有之故、秀吉卿於念比者、信, 彼四人成敗の咎に事寄て、秀吉卿尾張表え可取還分別に極め、彼四人を, 雄卿立腹し、必四人共に成敗可有之也、左あらは内方の騷動の費に乘て, 果して秀吉公へ義を汚す事有て、秀次御切腹之刻生害せさ〓給ひし也、, 此類病は皆不合乎天意也、人の身上に利害の胎む事有時に、他能察之、己, 人殘玉ふ、筑前守秀吉卿謀を廻し、信雄卿の家臣岡田長門守、津川玄蕃允、, は知ぬ物也、此田地は中人以下なるへし、中人已上はよく知て改之、, がやうなる士畜生は急き出候へとて、城を出し々り、良琢和尚言のことく、, 母を長島へ調略を以まいらせ置、信雄に忠義し、此城を望み思ふな、其利一, 腹ニ付、織田三七信孝卿も生害也、信長卿御子には尾張内府信雄卿御一, 葉に至て面をおこし侍りき、爾有に、長門守かく成しとて、兄弟之因を變し、, 往は有々めと、士として左樣之義理を變し名を汚し、誰ろ榮へ侍るそや、汝, 評曰、利に因て身を立ん事を根ふかう好む者は、義をは曾て不知事多し、, 一小牧御陣之起は、天正十歳六月、信長卿御薨逝被成、翌歳四月、柴田勝家切, 〔小牧御陳長湫御合戰記〕小牧御陳長久手御合戰之事, 天正十二年三月六日, 等ヲ引付, 秀吉重孝, ク, 七三九

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  • 秀吉重孝

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  • 七三九

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