『大日本史料』 11編 10 天正12年10月 p.362

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ほの聞てより決定之間五日、かくて陣用意五六日はあらんや、上下廿日には歸城すへし、, ゝ、毎日膳をもすへ、常々有やうにこしらへをきしなり、かく思ひたちてよりは、た, 越中にして義兵ををこし、秀吉卿には敵對せり、天正十二年霜月下旬深雪をもいとはす、, さら〳〵こえとて嶮難無双之山路を行迷ひぬ、是は何の地をさして思召立給ふそやと從, 抑佐々内藏助成政元は尾陽春日井郡平之城主たり、其後信長公被封于越中守護、されは, 其間は病と号し、伽之者五六人、かよひの小姓十人斗には起請をかゝせ、此義を知せつ, ひし士とも問しかは、遠州へこえ行、家康卿へ相看申、來春は羽柴筑前守を討亡し、信雄, ゝ急かんより外よろしき事はなきそとて、雪になつまぬわかきはらを百人はかりめしつ, 先君の恩懇を不忘して、一とせ信雄卿与秀吉卿及鉾楯事有しとき、信雄卿御味方に与し、, 〔大閤記〕八佐々内藏助勵真忠雪中さら〳〵越之事, 卿可被達御本意謀を盡し、可及歸國也、兼て汝等にしらせ度は思ひけめと、於賀州無沙, 汰樣にとふかく忍ひ出しに依て、左もなかりし也、冨山を出てより十日斗は前田知まし、, れ、大山之みねわきに攀上り、南をみれは山下に里有とおほしくて、柴折くふる煙たえ, 天正十二年十二月二十五日, 下信州ヲ通、, テ皈國、上, 在リテ秀吉, さら〳〵越, 成政越中二, 秀吉討滅ノ, 謀ヲ家康ト, ニ抗ス, 議セントス, 信濃ヲ經由, 旅行ヲ祕ス, ス

割注

  • 下信州ヲ通、
  • テ皈國、上

頭注

  • 在リテ秀吉
  • さら〳〵越
  • 成政越中二
  • 秀吉討滅ノ
  • 謀ヲ家康ト
  • ニ抗ス
  • 議セントス
  • 信濃ヲ經由
  • 旅行ヲ祕ス

注記 (26)

  • 707,629,89,2248ほの聞てより決定之間五日、かくて陣用意五六日はあらんや、上下廿日には歸城すへし、
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  • 1287,630,85,2235越中にして義兵ををこし、秀吉卿には敵對せり、天正十二年霜月下旬深雪をもいとはす、
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