『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.327

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の詞にも、戰に勝つは和にあつて衆にあらにといへり、信長卿のふるまひ, は和談を以て平治せんとのたまひ、織田掃部助を使者とし〓城内へ赴り, しめ、和睦のよしをのべらる、其詞に云、信長實子を信意の養子にさだめ、無, 是非なく家を出て。しばらく蟄居す、かくそ信長卿岐阜の城へかへり給ふ, 奉る、堤太夫立腹し、其趣を言上す、これによつそ福井が館をさめらる、福井, とき、例の舟江の溢者ども三渡に出むかひ、鉄炮少々先手の中へ打かくる, らびに諸關をひらき給、幸此折から、伊勢兩宮の神拜を遂ぎんと、やのて參, のはじめより諸軍に命じ草木を食さしめ、國司父子にも士卒とひとしく, 參宮の次而、ひうかに織田家中の旦那をとのみて、信長卿を我宿所に入れ, と一同す、すなはち朴木隼人正を使者として、同じき十月下旬、終に織田、北, 食物にたなへ〓れば、兵粮更につくる事なし、信長卿も退屈したまひ、此上, 畠和談さられをはん、ま〓に敵をといらぐる事は和を用るにしかず、古賢, 尤智謀のふかき故なり、信長しばらく國司と一味によつて、諸勢を入れ、な, 宮したまへり、宿所は堤太夫なり、しかる處に、福井太夫こまをにくみ、宇治, 事一味のおもひをなさんと云々、國司方評義して、是先人質を取るにあり, トノ説, ヲ申入ル, 和議成ル, 信長和睦, 永祿十二年十月十一日, 三二七

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  • トノ説
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  • 信長和睦

  • 永祿十二年十月十一日

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注記 (21)

  • 1082,642,66,2191の詞にも、戰に勝つは和にあつて衆にあらにといへり、信長卿のふるまひ
  • 1667,654,71,2187は和談を以て平治せんとのたまひ、織田掃部助を使者とし〓城内へ赴り
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