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るへからす、, たるを考ふるに、明月記は、嘉禎元年に記し給ふ、續後拾遺集は、正中二年の, しる人な々まは、是と定めかたし、又是ほとの〓、誰しも撰はん〓かたきに, 月記に染筆ありしと見えたる歌は、今の世にもてならふ歌にや、あらすや、, と、契冲かいへる定家卿の難波なるの歌、雅經卿の思ひ入の歌の撰集に入, 家卿の名を冐し、色紙形に歌繪を書、よみ人の名をみたりに記し、小倉山莊, 家卿、よみ人の名を記してむろめ給ふなとの説、信用しかたし、餘りに定家, 色紙和歌とよひ、一小册となし、書あきなふものとかたらひ、さそら木にゑ, 卿を尊信するより、爲家卿にまてぬま衣きを奉るなるへし、かくいふは、お, 撰にて、凡九十餘年後也、又新後拾遺集は、至徳元年奏覽のよしにて、凡百五, あらすして、みたりにかくは誤るへからす、されは定家卿の撰にあらす、爲, り、よも山に傳へ、もはら兒女子のもて遊ひとなすものならん、もとより明, 十年に及ふ、其間今の〓く、貴賤都鄙ともにもてあそはゝ、此二首撰ひとら, を記し給ふといへと、かくみたりなる〓はあるまし、こはまたく、定家卿、爲, 又爲家卿むろめ給はゞ、たれも知ぬへし、又爲家卿よみ人の名, かし、頓阿も此百首疑はさるや、其比もて遊はゝ、新後拾遺集に, 頓阿か書にる榻鳴曉筆に、此百首の〓有しといへり、此〓いふ, 撰はれたる, もいふし, 嘉禎元年五月一日, 三八
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- かし、頓阿も此百首疑はさるや、其比もて遊はゝ、新後拾遺集に
- 頓阿か書にる榻鳴曉筆に、此百首の〓有しといへり、此〓いふ
- 撰はれたる
- もいふし
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- 嘉禎元年五月一日
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- 三八
注記 (21)
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