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戸之御家中となり、録千石を知行ス、, ありて、さいふより美濃柿を手つから兩人へ被下、小知ニ而奉公可仕旨被仰出候へと, 舊家傳兵衞, 家傳云、先祖を南川刑部五郎文敵といふ、舊く當村に在住す、, 〔紀伊續風土記〕, 舊家地土南川長五郎, も、兩人共辭退仕〓々也、佐竹伊賀は熊野之木本ニ蟄居ス、鈴木孫市は大和大納言秀, 正年中、小牧御陳に御味方に屬し、泉州まて出陳せしに、御和睦と聞て引返す、翌年豐, 佐竹伊賀先祖之事、系圖不詳、追而可尋、竹を武ニ作る、故有事歟、, 今町人之歴々也、, 一、若山本町佐武九郎左衞門は、伊賀より五代之嫡孫也、淺野先國方ゟ録三百石被下、于, 〔紀伊續風土記〕, 太閤の爲に亡され、村中に蟄居シ、郷士となる、慶長年中〓地をうけ、農を業とす、南, 龍公命ありて、燒酎を製せし事ありといふ、地士にて大庄屋職を勤む、, 其祖を楠見四郎と云ふ、代々當莊を領す、後故ありて彈塚四郎大夫と改む、其孫四郎大, 長ニ仕へ、關ケ原ノ時石田ニ屬し、伏見与鳥井庄左衞門を討て、後東國へ走り、後水, 天, 雜賀莊梶取村, 七名草郡一二一, 今土居の址を文敵屋鋪とい, ふ、近き頃まて堀形遺れり, 八名草郡三, 楠見莊中村, 川頼宣), 大庄屋, 彈塚四郎大, 南川文敵, 長ニ仕フト, 重秀後ニ秀, ノ説, 夫, 天正十三年三月二十一日, 一六〇
割注
- 雜賀莊梶取村
- 七名草郡一二一
- 今土居の址を文敵屋鋪とい
- ふ、近き頃まて堀形遺れり
- 八名草郡三
- 楠見莊中村
- 川頼宣)
頭注
- 大庄屋
- 彈塚四郎大
- 南川文敵
- 長ニ仕フト
- 重秀後ニ秀
- ノ説
- 夫
柱
- 天正十三年三月二十一日
ノンブル
- 一六〇
注記 (33)
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