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田七郎皆當村に住す、, 其祖は當郡小倉ノ莊吐前城主津田監物算長といふ、楠正儀の三男河内ノ國交野郡津田ノ, 後朝鮮の役に脇坂淡路守に仕ふ、其弟助四郎當村に在て代々農民たり、, 國回國し、歸國の後、那賀ノ郡安樂川莊に住す、天正年中小牧の役に泉州に出張す、豐, 〔紀伊續風土記〕, 〔紀伊續風土記〕, し、天文年中歸國して、當郡坂本村に住す、其子を監物算正といふ、算正の子を監物重, 中故ありて大隅國種子島に至り、鐵炮の奥儀を授かり、天文十三年歸國し、那賀ノ郡根, 大閤南伐の時本領を失ひ、其後代々當村に住す、其餘地士津田留之進・津田源太夫・津, 來ノ莊坂本村に住し、清左衞門といふ者に小鐵炮を張立させ、自由齋は鐵炮修行の爲諸, 城主津田周防守正信六代の孫なり、算長享禄年中大隅種ガ嶋に渡り、初めて炮術を傳來, 家傳にいふ、其祖を津田自由齋といふ、楠正儀の子河内交野ノ郡津田ノ城主津田周防ノ, 舊家地士津田源次大夫, 守正信五代ノ孫、那賀ノ郡吐前の城主津田監物算行の次男なり、兄監物算長は、享祿年, 夫、雜賀合戰に土橋平次に屬し討死す、其子源四郎は天正年中根來に屬し、戰功あり、, 舊家地士津田恒三郎, 直川莊松島村, 池田莊重行村, 九名草郡四, 三十那賀郡四, タメ廻國, 鐵炮修行ノ, 屬シテ戰死, 津田自由齋, 津田重長, 土橋平次ニ, ス, 天正十三年三月二十一日, 一六一
割注
- 直川莊松島村
- 池田莊重行村
- 九名草郡四
- 三十那賀郡四
頭注
- タメ廻國
- 鐵炮修行ノ
- 屬シテ戰死
- 津田自由齋
- 津田重長
- 土橋平次ニ
- ス
柱
- 天正十三年三月二十一日
ノンブル
- 一六一
注記 (29)
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