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領す、天正年中、田尻久平次根來寺の請に應して秀吉公の爲に沒收せらる、, を繼くといへとも、別に門戸を建て、徒弟五百有餘人あり、山徒これを嫉み屡上人を陵, 〔紀伊續風土記〕, 莊を寄せ給ふ、後天承元年大傳法院を建立し、數箇の莊園を賜ふ、上人弘法大師の法流, 轢す、上人これによりて、野山を去りて岩手ノ莊に趣て、これより先、根來山の傍吉田, 其間大抵山峰を以て界とし、周回凡四里許、根來の名義を按するに、根來はねごりの轉, 根來山は弘田・野上野兩莊の北にあり、寺域、西北は山崎莊に接し、東は池田莊に接す、, 出尻氏は菊地一黨、筑後國高良山の城主田尻宮内少輔定興の末裔なり、文龜・永正の間, 語、根來の字は嶺凝の假名にて、葛城峯此地にて凝れる形勢に因りて號るなるへし、, 西國兵亂の時退城して高野山小田原西明院に登り、福田村に潜居して當郡東岸莊三村を, 願所なり、初上人高野山に住す、大治五年、上皇上人の爲に小傳法院を創建し、岩手ノ, ノ莊に一老翁あり、豐福といふ、己の宅を根來山に移して一寺を建立し、豐福寺と號す、, 根來寺, ○以下根來寺等諸社寺ノコトニカヽル、, 覺〓上人の開基、鳥羽上皇の勅, 天正十三年三月二十一日, 若狹國の山中に、根來谷と書て、ねごり谷と唱ふるもあり、是と同義, にて、疑らくは、萬葉集に岩かねの凝しき山、とあると同意ならん, 二十九, 那賀郡三, ○下, 略, 田尻久平次, 根來寺, 根來ノ語源, 天正十三年三月二十一日, 一六八
割注
- 若狹國の山中に、根來谷と書て、ねごり谷と唱ふるもあり、是と同義
- にて、疑らくは、萬葉集に岩かねの凝しき山、とあると同意ならん
- 二十九
- 那賀郡三
- ○下
- 略
頭注
- 田尻久平次
- 根來寺
- 根來ノ語源
柱
- 天正十三年三月二十一日
ノンブル
- 一六八
注記 (27)
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