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六人、佛供田三町六段四十歩もありしか、天正十三年、根來寺に與したるによりて、根, 來寺破滅の時、倶に燒失せしに、觀音・大日・不動・覺〓ノ像を纔に取出し、傳へたり, し、境内東西八町、南北六町と定め、堂舍莊麗を極めしに、豐太閤南征の時、根來寺と, とそ、元和以後漸々に堂舍を營て、今の姿となれり、大門跡、古の傍示石等門前にあり、, れしかは、上人此地に伽藍を建立して、伊太祈曾明神の奥院とよひて、祭日遊觀所と, 白山權現祠・辨財天祠・熊野權現祠・覺〓堂あり、境内東西八町、南北六町、供僧二十, 時光寺へ退去し、佛閣悉頽廢して、五十餘年を經たるを、寛永十五年に至りて再興すと, 尊・觀音堂・護摩堂・庫裏・大塔・不動堂・鐘樓・經藏・藥師堂・丹生明神祠・拜殿, 倶に伽藍悉く烏有となり、唯開山堂のみ遺るといふ、寛文記にいふ、大門・中門, 等ありしに、天正十三年、豐太閤の軍亂入の時退轉す、其時の住持立空慶規和尚は播磨, 廢寺の形状みるに足れり、開山堂は古のまゝなれは、瓦皆古物なり、, 村の西ノ端にあり、寛文記云、當寺昔は大地にて、寺領田一町餘、畠二段餘、其外山林, あり、寶暦年中燒失して、又纔に鐘樓・門のみ殘りたるを、其後漸々再建して今の姿と, 〔紀伊續風土記〕, 西應寺瑞雲山淨土宗西山派梶取村總持寺末, 山東莊木枕村, 十七名草郡十二, 平瓦の銘下○下, に載す、略, に載す, 日〓, 戸, ク外悉ク燒, 失ス, 住持立空慶, 開山堂ヲ除, 規播磨時光, 西應寺, 寺ニ退去ス, 天正十三年三月二十一日, 二〇〇
割注
- 山東莊木枕村
- 十七名草郡十二
- 平瓦の銘下○下
- に載す、略
- に載す
- 日〓
- 戸
頭注
- ク外悉ク燒
- 失ス
- 住持立空慶
- 開山堂ヲ除
- 規播磨時光
- 西應寺
- 寺ニ退去ス
柱
- 天正十三年三月二十一日
ノンブル
- 二〇〇
注記 (31)
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