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山深き所に有、其地を小園と云、本尊は千手觀音也、文安四年春囘祿にかゝ, 觀音堂を再興す、今唯觀音堂のみ殘りて、寺院もなし、いにしへの名殘とて、, なり、七堂悉く備り、塔頭も多かりしとかや、其舊跡は今の觀音堂ゟ一里奧, りて、燒失セり、唯本尊のみ殘れり、其後寺主再興を志し、十方に助成を求め、, 安國寺舊跡下山田村の東南の山下に有、前, 路廣く長くして境地よし、三方山有て谷ふところ廣し、誠に大寺の跡とみ, に一所ツヽ安國寺を置て、國家の長久を祈らせらる、此所則當國の安國寺, 實住持鼎珊と相はかり、重て佛堂を建立せり、其後又元和八年に、村中より、, 今上皇帝の聖壽の牌、及ひ當寺十四代と有位牌殘れり、最初佛堂の有し所, ニアリ、弘法大師ノ開基ニシテ、京仁和寺ノ末寺也、, 漸觀音堂を營作し、文明二年ニ至て、成就す、堂は初の地ゟ一町下に立、則今, ゆ、白馬山景福安國寺と云、光明院御宇暦應二年、勅によりて東福寺ゟ、一國, の地也、其後百七年を經て、天正二年に至り、荒廢極りぬ、爰に秋月氏大藏種, に、座禪石と言大岩有、此境内に感澤寺、國照寺、養主庵なと云る塔頭の跡殘, 〔筑前國續風土記)〕, 〔筑前國續風土記〕千腫郡安國寺舊跡下山田村の東南の山下に有、前, エザルモ、尊氏當寺二地, ○下略、本文塔婆ノ事見, ヲ寄附シテ一國一基ノ塔婆料所ニ充テシメシコト、暦應四年, 十一月二十九日ノ條ニ見エタリ、又、土佐ノ安國寺ハ詳九ヲ〓ヽ, 十一, 嘉摩郡, 筑前ノ安, 國寺, 南朝〓國六年北朝貞和元年二月六日, 七五四
割注
- エザルモ、尊氏當寺二地
- ○下略、本文塔婆ノ事見
- ヲ寄附シテ一國一基ノ塔婆料所ニ充テシメシコト、暦應四年
- 十一月二十九日ノ條ニ見エタリ、又、土佐ノ安國寺ハ詳九ヲ〓ヽ
- 十一
- 嘉摩郡
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- 筑前ノ安
- 國寺
柱
- 南朝〓國六年北朝貞和元年二月六日
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- 七五四
注記 (26)
- 976,632,78,2201山深き所に有、其地を小園と云、本尊は千手觀音也、文安四年春囘祿にかゝ
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