『大日本史料』 1編 1 仁和 3年 8月~寛平3年12月 p.347

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水なり、, 奧を究て、百家の典籍を渉獵す、遂に教時問答四卷を顯し、一佛一時一處, 一教を立て、如來の大教を判釋し、大に台密の門を興す、光孝天皇元慶八, 成天皇此三尊佛を安然に賜ふ、安然是をこゝに置, 寂の地也、和尚は慈覺大師の弟子、又業を僧正遍昭に受て、顯密二宗の秘, 年、勅して元慶寺の阿闍梨とす、然れとも和尚偏に智證大師の玄化をし, して高し、故に水なし、唯纔岩のみあり、一日和尚試に獨鈷を以て岩頭を, なり、俗よつて獨鈷水と名つく、生涯貧に處し自樂、老てこゝに終る、入滅, 教大師の系族なり、其傳元亨釋書にあり、當寺は安然和尚練行の處、即入, 穿、岩石摧けひらけ、水忽に涌流る、其水清潔冷寒、冬夏〓せす、無雙の靈水, たひ、且三井の幽寂を愛し、後遂にこゝに來り住す、此地は關山の東、崛起, 安然和尚塔南の方山上にあり、安然和尚、後に五大院の先徳と號す、傳, 獨鈷水本堂の南鎭守の社の後、西北の崖下にあり、是安然和尚の獨鈷, 如來堂閻浮檀金三尊の佛なり、信濃國善光寺の如來と同一體といふ、陽, 近江國興地志略〕, 志賀郡八近松寺, 寛平二年正月十九日, 略, ○中, ○中, 園城寺, 略, 十三, 獨鈷水, 近松寺, 安然遺跡, 塔, 寛平二年正月十九日, 三四七

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  • ○中
  • 園城寺
  • 十三

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  • 獨鈷水
  • 近松寺
  • 安然遺跡

  • 寛平二年正月十九日

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  • 三四七

注記 (29)

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