『大日本史料』 4編 7 建仁元年4月~3年12月 p.503

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と名付られけりと云々、, かくはかりふかき思ひをしるへにて八雲のそこに尋入ぬる, 務少輔定長といへり、, は毎日に參りていさかひありけり、顯昭はひじりにて獨古を持たりける、, 寂蓮はかまくびをもたてゝいさかひけり、殿中の女房例の獨古かまくび, 人丸の墓尋ありきて、柿本の明神にまうでゝ、, して、加評定て左右申詞を被書けり、自餘人數不參の日あれとも、寂蓮、顯昭, は上手也、顯昭云、歌はやすきものなりけるよ、寂蓮程無才學なれともうた, をはよくよむと云りけれは、又寂蓮云、歌は大事のもの也たるよ、あれほと, 大才なれとも歌と下手なり〓ると云々れは、我程歌をよめ、よまん事我等, なとはかたかるへしといひし也、實も寂蓮は器なれはこそ、俊成の嫡子ニ, られし也、其後定家といふ子出來て後、寂蓮は斟酌せしなり、寂蓮は俗名中, 〔寂蓮法師集〕出雲の大社に下向して侍りけるこが、兼宗申遣ける、, 兵部卿家長といふ人有しかと、無器用なるにより、寂蓮を歌道の養子ニ〓, 〔兼載雜談〕顯昭は大才の人也、寂蓮は無才學人也、顯昭は歌者下手也、寂蓮, 建仁二年七月二十日, ニ詣ヅ, 柿本明神, 才學ナキ, 出雲大社, 道ノ養子, 獨鈷鎌首, 俊成ノ歌, ニ詣ヅ, 人, 建仁二年七月二十日, 五〇三

頭注

  • ニ詣ヅ
  • 柿本明神
  • 才學ナキ
  • 出雲大社
  • 道ノ養子
  • 獨鈷鎌首
  • 俊成ノ歌

  • 建仁二年七月二十日

ノンブル

  • 五〇三

注記 (27)

  • 1569,628,54,710と名付られけりと云々、
  • 393,635,59,1913かくはかりふかき思ひをしるへにて八雲のそこに尋入ぬる
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