『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.335

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尊南坊僧都定任といふもの、熊野山より鎌倉に來り、城氏の囚を聞き、城氏の師檀なる, 熊野參詣の往來を改め、累世こゝに居る、今猶山中に居所の跡あり、九代孫家永、天正, 濃國筑摩河に出陣し、囚人となりて鎌倉に下向し、梶原平三景時に預けらる、文治四年、, 與へ、居ること百餘日にして明年三月故郷に歸る、其子範家父と共に敗れて落城し、居, 鎭守府將軍平惟茂男秋田城之介繋茂七世孫越後國小河莊赤谷城主城九郎資國の後なり、, て大坂籠城を勸む、父資家怒りて、使者を罵辱して徒はす、其後武事を捨てゝ農となと, に依りて、幕府に乞ひて囚を免さる、正治三年、兵を闕下に起し、源朝政か東洞院の第, 永、元徳元年鬼城を築く、正慶元年二月、八鬼尾谷・九鬼・三越峠三箇所に關を置きて、, 十三年、堀内氏と戰ひて大に敗れ、勢州に奔りて御炊大夫に依り、傳來の寶劍を大夫に, 鬼カ城の南一町城栗須といふに代々居住す、是古の下屋敷地なりといふ、其家傳へ云ふ、, を松本に移し、家勢大に衰へて代々此に住す、其孫資久の代に、堀内氏より使を遣はし, を攻む、軍敗れて遂に熊野に奔りて桐原村に匿れ、本宮の神地を支配す、長茂五世孫範, 資國の子を資茂と云ふ、壽永二年、越後守に任し長茂と改名す、木曾義仲追討の時、信, 〔紀伊續風土記〕, 舊家松本源四郎, 牟婁郡十七, 三里郷伏拜村, 八十五, 三里郷, 城家永, 戰ヒテ大敗, 堀内氏善ト, 城氏, 天正十三年三月二十五日, 三三五

割注

  • 牟婁郡十七
  • 三里郷伏拜村
  • 八十五
  • 三里郷

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  • 城家永
  • 戰ヒテ大敗
  • 堀内氏善ト
  • 城氏

  • 天正十三年三月二十五日

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  • 三三五

注記 (25)

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