『大日本史料』 11編 20 天正13年9月 p.393

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歟と、尚追考すへし、, 右北徴遺文載之、, ○佐々成政、利家ノ屬城能登末森ヲ圍ムニヨリ、利家赴援シテ成政ノ勢ヲ破ルコト、, とあり、今按に、成政三百俵を與へ、利家卿百廿俵を賜るもの、是藩士に呼出され、, 判書と、右利家卿の印書とを卷物ニ仕立、其仕立方黒地金入之織物之て、表紙付象, 越中と加賀との領堺に居たる故之、成政と出入有之比、前田家の味方せし故の恩賞, 牙軸也といふ、三州志古墟考n、礪波郡刀利墟在太美郷刀利村領、今遺状全ク廢, セルカ、官圖今闕之、相傳初森三十郎居シ、其後宇野宗右衞門據スト、並こ無傳, 後辭して本郷へ歸り農民と成たるか、未其由緒書を見されは、來歴詳ならす、或云、, 宇野宗右衞門子孫、即ち代々宗右衞門と稱シ、天正十二年九月三日日付の佐々成政, 河北郡之内志村内記分百貳拾俵、令扶助訖、全可知行者也、仍如件、, 宇野宗右衞門殿, 天正十三, 九月廿七日, 利家印, 天正十三年九月二十七日, 九月廿七日利家印, (前田), 三九三

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  • (前田)

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  • 三九三

注記 (19)

  • 339,777,55,534歟と、尚追考すへし、
  • 1342,774,55,423右北徴遺文載之、
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