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月九日、直景, 東は, 淺草口といへるは、今の常盤橋なるへし, 是より淺草の觀音, の方、神田口の外にも原有て、其内神田山、柳原の方へ掛りてあり、夫に續き、, 所をいふか、此頃舟町といひしも、爰ならん、, ても、江戸より淺草は、宿次の海道なる事見るへし、舟口といふは、川舟の江, 戸へ入る口といへる意ならん、其所は定かならねと、今の錢瓶橋の、船入の, 今の駿河臺より、本郷へかけては皆山々なり、見聞集に、江戸の邊、神田の原, 今は榮ゆくま, の方へは、町も續きて、昔よりの街道なり、北條家より、天正の頃出せし宿次, より板橋まて見渡し、竹木は一本もなし、みな野らなりしか、, の文章あり、其文に云、傳馬一疋可仕候、但彼出家に可渡者也、仍如件、壬午九, 江戸、淺草、葛西、新宿、但是は臼井迄、是に, 按するに、ぬるき人, 芝口の町も京橋邊迄にて、それよりこなたは、後, のいひしは, あたりの野原、三里四方に家を作りふさ, きしと, 〔紳書〕, 所ハ、はつかの, 慶長十九年の頃, 年末ノ條ニ收ムルヲ以テ、此處ニハ略ス, 此橋、むかしハ, 大橋と云り、, に傳ふる、正保年中の江戸圖など云ものを見て、推て知へし、, 遠山左衞門尉なるへし、, 壬午ハ天正十年なるか、, ○上文、駿河臺ヲ開ク事ニ係レリ、元和二年, 外曲輪にも、家居も立こみ、神社、佛閣もおほく出來しならん、世, 按に、爰にいふ, けれハ、其跡原と成し故、竹木もなく、限なく遠き方迄、見渡されたる成へ, ○下, 間の變遷と見ゆ、慶長初年迄ハ、此邊神田山なりしに、同八年、其山を堀崩し, 長野治右衞門, のいひし也、, を云なるへ, 略, 江戸市坊, ノ開展, 慶長八年三月三日, 一一〇
割注
- 所ハ、はつかの
- 慶長十九年の頃
- 年末ノ條ニ收ムルヲ以テ、此處ニハ略ス
- 此橋、むかしハ
- 大橋と云り、
- に傳ふる、正保年中の江戸圖など云ものを見て、推て知へし、
- 遠山左衞門尉なるへし、
- 壬午ハ天正十年なるか、
- ○上文、駿河臺ヲ開ク事ニ係レリ、元和二年
- 外曲輪にも、家居も立こみ、神社、佛閣もおほく出來しならん、世
- 按に、爰にいふ
- けれハ、其跡原と成し故、竹木もなく、限なく遠き方迄、見渡されたる成へ
- ○下
- 間の變遷と見ゆ、慶長初年迄ハ、此邊神田山なりしに、同八年、其山を堀崩し
- 長野治右衞門
- のいひし也、
- を云なるへ
- 略
頭注
- 江戸市坊
- ノ開展
柱
- 慶長八年三月三日
ノンブル
- 一一〇
注記 (42)
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