『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.377

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らすと、人みないふめりし、今昌叱は、昌休法師にうけつきて、よはひは親に, はしか程ならんかし、宗祇、宗長をはしめ、連歌の好士、その子これをうけつ, 昌叱法橋は、ことし耳したかふ年を過て、五とせの齡に成ぬとなん、いにし, くこと、いにしへはためしなきやうに聞へしを、宗牧法師に、宗養連續して, はあれと、にれもなかはゝ、病の床に臥しつみしかは、枕をしやるは、たヽし, 希有也といひしを、にの身四十年にたにもみたて、世を辭せしうらみ淺か, 歌、世傳稱毛利千句、仕豐臣秀吉、有恩寵、賜釆邑百石矣、其子昌琢、又繼父爲連, 里村昌叱者、京師人也、博于歌林、精連歌、體意句法、遂戌一家、其佳作膾炙于人, 年の夏、紹巴法眼にをくれしよりは、たゝ一とせの日數はかりにこそ、しか, 口者多、與紹巴共齊聲名焉、毛利輝元、招致昌叱、紹巴、於藝陽、使兩人賦千句連, 歌宗師、父子擅美、可謂奇也, 〔老人雜話〕上連歌師の次第、昌休-紹巴, 〔扶桑拾葉集〕卅昌叱をいためる和歌序釋道澄, 玄仍, 昌叱, 日本古今人物史〕七里村昌叱傳連歌, 慶長八年七月二十四日, の婿、, 昌叱, 昌休, 紹巴の, 弟子、, ノ弔詞, 道澄准后, 毛利千句, 慶長八年七月二十四日, 三七七

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  • の婿、
  • 昌叱
  • 昌休
  • 紹巴の
  • 弟子、

頭注

  • ノ弔詞
  • 道澄准后
  • 毛利千句

  • 慶長八年七月二十四日

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  • 三七七

注記 (27)

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