『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.893

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に定られて後に、めし加えられて、右の内には入らされとも、近き頃まての, 外樣の門跡衆、外樣の番衆、院家、諸寺の僧等は、清凉殿の北の方にて御對面, 已後なれは此定也、後陽成院へ、正親町院の女中年始に參りし時も、若十五, 撤す、入御、是は外樣なから内々をかけたる意也、此うち日野は、武家の傳奏, あり、八幡別當、本國寺、清水寺、本願寺、醫師やうのものは、小御所にて御對面, みの戸をあけて道とす、手長の人酌にて天盃たふ、庇の中央にすゝみ出て, 日已後なれは、こふあはをすへられしと、宮内卿かたりし也、外樣の攝家衆、, 給はり、本座に歸りて、御さかなをとりて一人ツヽ退く、各退きて後御前を, かな御前にまいりて後、さしむしろの衆にもすう六位藏人是を役す、みな, なを用されは、こふあはをすうるなり、院の女中なと參らるゝ事も、十五日, 事なれは、三人の名をあけたる也、若諸禮十五日已後なれは、已後は三さか, に候す、御陪膳に候, すへき人、手長の人職事等、兼てより申の口に伺候して、御盃を供す、次にさ, にて御對面あり、誰にても申つき、御禮申て後、さしむしろ, 天盃たふ、御ひくに衆も同し、日野、鳥丸、柳原ハ外樣なれと、常の御所, 所にて三名也、, 御座、清凉殿、皆, 枚をしく、此さしむしろ、正月溯日より敷て、正月中有也、, 所、晝の, 〓さの未申の角の、疊一帖を撤して、さしむしろ一, 常の御, さしむし, 慶長九年正月九日, 八九三

割注

  • 所にて三名也、
  • 御座、清凉殿、皆
  • 枚をしく、此さしむしろ、正月溯日より敷て、正月中有也、
  • 所、晝の
  • 〓さの未申の角の、疊一帖を撤して、さしむしろ一
  • 常の御

頭注

  • さしむし

  • 慶長九年正月九日

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  • 八九三

注記 (24)

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