『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.119

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リ合候テハ、御爲ニ宜カラヌ事ニテ、最早關ケ原ヨリ天下ハ御手ニ入申事, く押詰、組の與力同心を立ならへ罷在候に付、其節の物頭中の義も、我も我, 預の鐵炮同心與力共に召連、喧嘩の場所へは不行して、加州利家の陣所近, の亭に於て、喧嘩の始終を御覽被遊御座被成候へ共、とかくの御意も無御, 忠より遙々被差越候に付、馳走の爲めつらしき喧嘩をさせて見せたれは, 座候所に、事濟候已後、榊原康政御前へ被出候へは、其方當陣見舞として、秀, 程なく鎭り、雙方共に退き別れ、無事に相濟候と也、其節、家康公には、御陣所, 早馬にて懸付、此方の御家老中同前に、喧嘩を制し止め候體に相見へ候か、, もと驅付候故、名護屋中の騒動と罷成、利家方よりも、歴々と見へたる面々, ト沙汰無之、引込候テ果申サレ候、段々本多佐渡守威ヲ專ニ被致候ユヘ、ハ, きにて走り〓られ候と也、時に御物頭には、服部半藏、渡邊忠右衞門兩人、御, 大きに骨折たるなと有仰にて、御笑ひ被遊候よし、右水論の次第、大閤の聞, 止致さるる、中にも本多忠勝は、澁手拭を鉢卷に致され、榊原康政は、大肌ぬ, にも達し候哉、夫より程なく、利家へは、陣所かへ被申渡候と也、, 〔鳩巣小説〕, 榊原、關ケ原以後、透, ○上略、秀忠、上田城攻ノコト、及ビ康政、秀忠, ノ爲メ二、家康ノ怒ヲ解クコト二カヽル、, 康政ノ晩, 本多正信, ト康政, 年, 走リ〕ル, ぬき二テ, 康政大肌, 慶長十一年五月十四日, 一一九

割注

  • ○上略、秀忠、上田城攻ノコト、及ビ康政、秀忠
  • ノ爲メ二、家康ノ怒ヲ解クコト二カヽル、

頭注

  • 康政ノ晩
  • 本多正信
  • ト康政
  • 走リ〕ル
  • ぬき二テ
  • 康政大肌

  • 慶長十一年五月十四日

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  • 一一九

注記 (27)

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