『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.113

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り、主計か心底智なくんは、人を知るまし、勇なくんは、諸人のおもふ所を耻, 名將といひつへし, 小身にて、新參なり、然共、其器凡ならさる故、數年ならすして、御取立、數代舊, とて追込ける、果して康政は天下の三傑と稱美せられ、古今の英將と成れ, 功の酒井、内藤、鳥居、大久保、平岩等の上に列して、徳川御家補佐の臣となり, て、康政をなみすへし、東三十三ケ國の中、徳川、上杉、武田等の家の中にも、謀, 人傑なり、御取立あらんと思召も御尤の事なり、我弟は切付られ居る程の, 立合引分ける、其時主計頭は御宿老なり、小平太は小身といひ若輩なり、主, 才勇略の驍將なれは、聞人感し入て、親吉を嘲るものなし、忠の事は此一事, 計頭申さるゝは、小平太は、其身の才智勇敢由々敷、上の御用に急度立へき, ものなれは、さして御用に立へきとも存せす、弟は男を止させ、逼塞させん, 平右衞門といふ有しか、榊原小平太康政と喧嘩し、少し疵を被る所へ、皆々, 井伊、榊原は、親族の如くに親しみ、本多には、尤互に疎略なしといへとも、兩, に限らす、右の康政か罪をなため、却て愛するに及はんや、誠に信忠勇才の, 井伊、本多、榊原家、甲乙なき中に、本多は其頃御譜代なり、井伊、榊原は、其時は, ○中, 略, 親吉康政, 康政ト井, 弟トノ喧, 伊直政ト, 嘩, ノ親交, ノ智勇ヲ, 愛ス, 慶長十一年五月十四日, 一一三)

割注

  • ○中

頭注

  • 親吉康政
  • 康政ト井
  • 弟トノ喧
  • 伊直政ト
  • ノ親交
  • ノ智勇ヲ
  • 愛ス

  • 慶長十一年五月十四日

ノンブル

  • 一一三)

注記 (27)

  • 1210,662,59,2219り、主計か心底智なくんは、人を知るまし、勇なくんは、諸人のおもふ所を耻
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