『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.122

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云者也、參そうと云まゝに、纔に貳尺四五寸の刀を拔持、むらかる人數に立, まし、不便なる事なつら、いて勝負せんと云しか、何の手もなく是をも討留, る立身もなかりし、此久三郎、元は駿河今川義元より、氏眞に仕へしか、傍輩, ける、誠に大功を立たる男也、併人物賤敷、事の埒平生取所なき者故か、指た, 向ひ、大太刀持たる勇士共を、矢庭に五六人切臥たり、其業早き事、只蝶鳥抔, して、我か相手には不足、乍去、父の敵を追かけて見なから、其分にては歸る, と喧嘩し、父子共に切殺し、其身は手も不負、さらは退へしとて、濱松え心か, 追立られける、是を見て、味方の軍士力を得、一度にとつと追立ける、此勢を, め、夫より神君の御城下え來りけるに、上聞に達し、天晴戌勇士と御旗本に, 仕れけり、いまた其頃は、氏眞と御したしみ有か故に、御遠慮の御心持有て, 之邊にて追着、親の敵のかすましと言葉をかけしに、久三郎、其方は未若く, 以て、惣軍はけみ、興を上て追討けるまゝ、朝倉勢立足もなく、惣敗軍にそ及, け立退しを、討れたる者の二男、父兄の討れたるを聞、跡より追かけ、阿部川, のことく振迴ける、流石勇士ほこりたる野太刀遣ひ共も、大に驚き怖れて, 康政公の御手に付置れけり、神君も、度々御懇成上意共有しなり、關東御打, 家康久三, 郎ヲ康政, ニ附ス, 慶長十一年五月十四日, 一二二

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  • 家康久三
  • 郎ヲ康政
  • ニ附ス

  • 慶長十一年五月十四日

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  • 一二二

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  • 1803,640,59,2220云者也、參そうと云まゝに、纔に貳尺四五寸の刀を拔持、むらかる人數に立
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