『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.17

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

處、即引考無所見、, し申との事にて候、このよしつたへられ候へく候らし、, ひてつくの御ふくろ、寺かう申さるゝにつきて、すいれう寺になされ候よ, 々勅定云々、得其意之由、令返答之處、後刻除服一通到來、次從勾當局爲召有, 使、即著衣冠參内、於黒戸拜龍顏、御咳氣、巳下刻より、至哺時伺御前、三皇五帝, 十一月廿一日、晴、孟子講之、今日終全部功者也、, 〔瑞龍寺文書〕, 廿四日、雪沃、從頭辨、總光朝臣江送書状云、愚也輕服令除服、可致朝參之由、内, 前に有之、尤可然事也、哺時退出、, 系譜共勅問也、史記、東莱、通鑑等所載勅答申畢、御書籍被取出、棚共御新調、御, 八月十九日、はるゝ、ひてつくの御ふくろ寺かうを, 十月六日、晴、勾當局ヘ參、苟息累卵之古事御尋也、粗申上畢、説苑有之旨覺悟, 御申、すいれうしにとの事ちよつきよあり、御禮に廿てう、こおもてしろ, ね廿まいしん上, 故關白豐臣秀次ノ生母豐臣氏造營ノ寺院ニ、瑞龍寺ノ號ヲ賜フ、, 〔御湯殿上日記〕, ○山, 六十, 城, 三, 系譜ノ勅, 孟子講演, 〓息累卵, ノ出典勅, 三皇五帝, 終了, 答, 答, 慶長十二年八月十九日, 一七

割注

  • ○山
  • 六十

頭注

  • 系譜ノ勅
  • 孟子講演
  • 〓息累卵
  • ノ出典勅
  • 三皇五帝
  • 終了

  • 慶長十二年八月十九日

ノンブル

  • 一七

注記 (30)

  • 1800,665,57,495處、即引考無所見、
  • 284,662,58,1652し申との事にて候、このよしつたへられ候へく候らし、
  • 402,672,57,2201ひてつくの御ふくろ、寺かう申さるゝにつきて、すいれう寺になされ候よ
  • 1452,674,59,2213々勅定云々、得其意之由、令返答之處、後刻除服一通到來、次從勾當局爲召有
  • 1336,661,60,2221使、即著衣冠參内、於黒戸拜龍顏、御咳氣、巳下刻より、至哺時伺御前、三皇五帝
  • 1685,666,57,1362十一月廿一日、晴、孟子講之、今日終全部功者也、
  • 496,623,100,418〔瑞龍寺文書〕
  • 1568,660,58,2224廿四日、雪沃、從頭辨、總光朝臣江送書状云、愚也輕服令除服、可致朝參之由、内
  • 1105,658,56,940前に有之、尤可然事也、哺時退出、
  • 1217,659,60,2222系譜共勅問也、史記、東莱、通鑑等所載勅答申畢、御書籍被取出、棚共御新調、御
  • 868,1383,57,1503八月十九日、はるゝ、ひてつくの御ふくろ寺かうを
  • 1916,662,57,2223十月六日、晴、勾當局ヘ參、苟息累卵之古事御尋也、粗申上畢、説苑有之旨覺悟
  • 751,666,58,2207御申、すいれうしにとの事ちよつきよあり、御禮に廿てう、こおもてしろ
  • 637,665,54,496ね廿まいしん上
  • 977,575,75,2055故關白豐臣秀次ノ生母豐臣氏造營ノ寺院ニ、瑞龍寺ノ號ヲ賜フ、
  • 853,626,91,486〔御湯殿上日記〕
  • 548,1101,38,109○山
  • 898,1176,39,109六十
  • 501,1096,43,41
  • 857,1175,39,34
  • 1213,294,42,171系譜ノ勅
  • 1707,293,43,174孟子講演
  • 1944,294,39,172〓息累卵
  • 1898,299,41,169ノ出典勅
  • 1259,297,40,168三皇五帝
  • 1666,295,37,82終了
  • 1854,293,39,40
  • 1172,294,38,40
  • 181,730,44,425慶長十二年八月十九日
  • 185,2476,42,67一七

類似アイテム