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一日、加賀の大守頭面, はく、汝來年必死すべし、しかれども彼士あへて信せず、明年の秋果して, 聞て、めし出されて七百石の地をたまふ、同十九年、三百石の地をくはへ, す、奏して法印に敍し、並に壽命院の稱號をたまはる、恩惠の厚事かくの, たまはり、すべて千石の地を領す、みな江州高野村にあり、しかのみなら, ごとし、慶長五年、大權現、宗巴か安否を左右に問たまふ、時に、幕下に詣し, て台顏を拜したてまつる、同年、城州市邊村横大路村にをひて、五百石の, くはしきを聞て、痛なしといへとも、請て脈を診せしむ、宗巴診察してい, いはく、瘡腫にはあらす、是時毒にして傷寒に似たるものなり、爰におひ, て藥劑をほどこし、三日にして平愈す、また一士あり、兼て宗巴か醫術に, 死せり、人みな其妙を感ず、同十五年、豐臣秀次、宗巴が醫術にくはしきを, 療の要を問、をよそ諸家の本草、張劉李朱等の書、略其大〓に通す、, 大に腫たり、諸醫みな瘡腫なりとす、時に宗巴をして診察せしむ、宗巴か, 爰にをひて一谿道三を師として、深く素問難經の奧義を探り、精しく治, 地をたまふ、同七年、江戸に詣して、大權現をよび台徳院殿に〓したて〓, 慶長十二年十二月十四日, 名醫傳, ドモ、寛政重修諸家譜ニハ、「妻は角倉氏が女」トアリ, ○皇國, 二ヨレバ、コノ間ニ「正慶適妻以己女」ノ記事アレ, 法印ニ敍, シ壽命院, ノ稱號ヲ, 賜ハル, 醫術ノ妙, ヲ師トス, 一谿道三, 一八〇
割注
- 名醫傳
- ドモ、寛政重修諸家譜ニハ、「妻は角倉氏が女」トアリ
- ○皇國
- 二ヨレバ、コノ間ニ「正慶適妻以己女」ノ記事アレ
頭注
- 法印ニ敍
- シ壽命院
- ノ稱號ヲ
- 賜ハル
- 醫術ノ妙
- ヲ師トス
- 一谿道三
ノンブル
- 一八〇
注記 (28)
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