『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.690

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て八千石を知行し、梁瀬の城に住す、慶長五年、上杉景勝征伐として東照, 國畑高取等にうつり、加増ありて八千三百石を領し、伊賀國名張の城を, 二年七月七日死す、年五十六、法名安齋、, 國竹鼻の城をまもる、九月十五日、關原の役に御本陣にいたり、御先手に, くはゝらむことをこふて、井伊直政か手に屬し、軍功をはけまし、首級を, 重政母は秦樂寺因幡守某か女、筒井伊賀守定次につかへ、伊賀國にをい, 重信順慶につかへ、食邑二千五百石を知行し、大和國結崎に住し、のち同, 宮御發向のとき、筒井定次とゝもに關東におもむき、また石田三成叛逆, 得たり、十三年筒井伊賀守定次、罪ありて領國沒收せらるゝにより、重政, 等も其所領を失ふといへとも、さきの軍功ををほしめされ、七月大和國, のきこえあるにより、御先にはせのほり、本多因幡守政武とゝもに、美濃, 〔武徳編年集成〕, 守る、このとき豐臣太閤より朱印をたまひ、筒井伊賀守定次に屬す、文祿, 七月小朔日、筒井ノ家臣松倉豐後守重正ハ、伊賀ノ, 宇智郡二見五條にをいて、一萬石の地を賜ふ、, 〓瀬ノ城ニテ八千石ヲ領スル所ニ、元來勇鋭ノ士、殊ニ庚子, ノ功ア, 五十, 五年、, ○慶長, 四, ノ罪ニ坐, 筒井定次, 名張城, 沒收セラ, 重政, 松倉重信, 梁瀬城, シ所領ヲ, 慶長十三年七月是月, 六九〇

割注

  • 五十
  • 五年、
  • ○慶長

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  • ノ罪ニ坐
  • 筒井定次
  • 名張城
  • 沒收セラ
  • 重政
  • 松倉重信
  • 梁瀬城
  • シ所領ヲ

  • 慶長十三年七月是月

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  • 六九〇

注記 (31)

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