『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.691

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二郎等を載せて、是則ち羽柴筑州の異見たり、各々大坂に越し禮を申す、, 勇の名譽當世に聞えてけり、, 一説に、重政初め吉野郡五條二箕の城に在りといふ、又一説に、重政いま, 松倉彌八郎は越智三千石を與ふと見えたり、右近大夫が事は見えず、又, 十二月廿九日、筒井等の大名を召し定む凡十一人、其中松倉彌八郎、同彌, 井が家亡びてのち徳川殿に仕へて、和州五條村二箕村を新城として一, 秀政が弟權左衞門尉、右近入道西安齋等、并に筒井宗徒の侍なり、其後筒, ルユヘ、直臣ト成、和州二見一萬石ヲ賜フ、, 五千石の地を領しきといふ、此説心得られず、多聞院日記に天正十一年, 領したり、其子左馬助某、其子右近大夫信重といふ、重政は信重が子なり、, 万石を領す、或説に、重政の曾祖父式部廣次といふは、三千石計りの地を, あり、其後筒井が家に仕ふ、順慶が時に當つて、秀政彼の家人の隨一にて、武, 祖は越中の國の住人にて、嘉吉年中大和國に來て、添上郡橋田といふ所に, 筒井順慶が世嗣伊賀守定次、伊賀國に移されし時、右近大夫當國名張郡, 松倉豐後守藤原重政は、彌七郎秀政が嫡子也、松倉が先, 藩翰譜, 慶長十三年七月是月, 仕丁記に見, えし所なり、, 十二, 下, 先祖, 豐臣氏二, 仕フトノ, 初メ重政, 松倉氏ノ, 重政直臣, トナル, 二箕城, 説, 慶長十三年七月是月, 六九一

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  • 仕丁記に見
  • えし所なり、
  • 十二

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  • 先祖
  • 豐臣氏二
  • 仕フトノ
  • 初メ重政
  • 松倉氏ノ
  • 重政直臣
  • トナル
  • 二箕城

  • 慶長十三年七月是月

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  • 六九一

注記 (32)

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