『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.258

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置候ては、水主之者共船盜取乘逃可仕候、水主之者共先き押立はめ草に仕, 居候て、此由承り申出候は、我々兄弟へ被仰付儀候はゝ參り可申、乍去この, ことく諸船頭先に立て御通被成候、然者、蛇那親方三千騎相隨、久米村之城, 物にて候、拾二三人程切捨候得共、少しも痛不申候と申上候、夫より那覇の, 出し、一々切捨可申と被仰付候、皆引出し切捨申候、私刀者前方被下候備前, 成候へ共、人々勢に恐なして、可參と申者無之、然者、百姓兄弟馬の草切に出, き、麥畠の中に隱居候を、美濃殿より七島諸船頭之内彦作に、あのもの共引, 々引置、御手之士六人、七島勢貳百四拾人召列、那覇之ことく御越被成、三月, の事成れは、老若男女麥畠之草取に集居候、此人々の風情見驚振ひりなな, なりにては難成候、御支度を御借被戌候はゝ可參由申出候付、支度被下、直, 候はゝ、よもや乘逃成間敷と存候と申上候へは、其儀可然と被仰ける、船皆, 前に引參候、其時國主より、大和の大將へ爲使可參ものは無之哉と御尋被, 小松助四郎と申者、生年十八歳、蛇那遁さしと追掛、終に生捕、大將權山殿御, へ籠り居、三日三夜手痛防戰と申せとも難叶、首里のことく馬にて逃行を、, に御意之趣を以、御勢は如何御座候哉、先以、是迄御下島御太儀に存候、適々, 防戰三日, 謝那久米, 城ニ據リ, 小松助四, 夜, 生擒ス, 郎謝那ヲ, 慶長十四年四月五日, 二五八

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  • 防戰三日
  • 謝那久米
  • 城ニ據リ
  • 小松助四
  • 生擒ス
  • 郎謝那ヲ

  • 慶長十四年四月五日

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  • 二五八

注記 (24)

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