『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.153

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久か舊領にして、以久曾て守衞せしところなり、そのゝち領地にゆくの, せんとて、家に藏むる肩衝の茶入を獻す、世にこれを島津肩衝と名つく、, 津一族のうちにをいて、以久か軍功第一たり、以久かつて東照宮に拜〓, 慶長八年、義久家久等かこひ申により、はしめてまみえたてまつり、十月, き、以久みつから陣中に馳入て力戰し、敵これかために敗北す、この役島, 十八日、日向國那珂郡佐土原三萬石の地をたまふ、こき島津中務大輔豐, をうく、天正六年十一月、義久、日向國高城にをいて大友か兵と合戰のと, 吉に生る、忠將戰死のゝち、伯父陸奧守貴久、其男修理大夫義久等か撫育, 母は佐多上野忠成か女、天文十九年、薩摩國永, 宗家の臣入來院彈正重豐か養子、, 母は上におなし、, 久倍, 慶長十五年四月九日, 郷氏, ○島津(佐土原)家譜二、澁, ○北, ニモ、マタ、久, ハ、もちひさトアリ、, 忠仍、又四郎相模守トアリ、薩藩舊記, ○寛永諸家系圖傳二, 谷左近忠元妻トアリ、, 相模、○島津(佐土原)家譜ニハ、久信、初, 信トセリ、, 馬頭、從五位下、, 堯秀坊、右馬允、右, 以久, ゆきひさ, 以久ノ履, 〓, 島津肩衝, 慶長十五年四月九日, 一五三

割注

  • 郷氏
  • ○島津(佐土原)家譜二、澁
  • ○北
  • ニモ、マタ、久
  • ハ、もちひさトアリ、
  • 忠仍、又四郎相模守トアリ、薩藩舊記
  • ○寛永諸家系圖傳二
  • 谷左近忠元妻トアリ、
  • 相模、○島津(佐土原)家譜ニハ、久信、初
  • 信トセリ、
  • 馬頭、從五位下、
  • 堯秀坊、右馬允、右
  • 以久
  • ゆきひさ

頭注

  • 以久ノ履
  • 島津肩衝

  • 慶長十五年四月九日

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  • 一五三

注記 (32)

  • 325,694,61,2146久か舊領にして、以久曾て守衞せしところなり、そのゝち領地にゆくの
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