『大日本史料』 10編 10 元亀3年8月~同年12月 p.154

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

攻近き、衝出す鎗を奪ひ取り、射矢を袖と請畄、半時許戦へは、敵の方こ討るゝもの百, 攻寄る、城兵是を破られしと、矢先を揃へ射たりける、是こも尚僻易せす、既こ屏涯こ, けり、斯りける所と鹿兒島より漸々加勢の兵馳來りけれは、城中俄と騷き立て、兎角す, は深手を蒙り臥けるを、郎等走續て肩と掛け、御方の陣と引退く、本より大勢の籠城な, れと、手配定らすと見すましけれは、唯一攻こ攻よとて、鹿兒島の軍兵早切岸の涯まて, 勢を〓り、城中鳴を謐めて、櫓の上より遠矢はかりを射掛けつゝ、墓〳〵敷事はなかり, らねは、餘多の勢を討れ、なしかはもつて叶ふへき、其夜の子の尅計こ、城の大将伊地, 餘人、寄手の内こも、肥後平三郎・桑波田孫太郎・河野玄蕃討死す、伊集院源助なる者, こ與し、叛逆を企るの条、奇怪の至也、此序を以て、根葉を絶して、後昆の〓を除かる, 卷きて、興の聲をそ揚たりける、城中よりも吐氣を合せて、しばしか程は戦ひしか、小, 武士を籠置き、, 知美作守を初め、蜜と城を落行ける、中務太輔家久城中こ入替り、法度を定め、守衞の, べしと、衆評一决し、頃は天正元年癸酉九月廿六日の夜半と艤し、同廿七日の曉天こ、, といへる所こ著岸あり、且らく爰と陣を搆へ、直こ軍勢を進め、早崎の城を取, 早崎, 〔箕輪伊賀自記〕天正元年〓酉九月廿七日に、瀬戸村の向へなる早崎と云処ヒ著陳, ○下略、大正元年三月, 十八日ノ條ニ收ム, 垂, 水、, 島津家久小, 濱城ニ入ル, 貳龜三年九月二十七日, 一五四

割注

  • ○下略、大正元年三月
  • 十八日ノ條ニ收ム
  • 水、

頭注

  • 島津家久小
  • 濱城ニ入ル

  • 貳龜三年九月二十七日

ノンブル

  • 一五四

注記 (24)

  • 913,620,65,2245攻近き、衝出す鎗を奪ひ取り、射矢を袖と請畄、半時許戦へは、敵の方こ討るゝもの百
  • 1021,621,64,2230攻寄る、城兵是を破られしと、矢先を揃へ射たりける、是こも尚僻易せす、既こ屏涯こ
  • 1233,623,60,2241けり、斯りける所と鹿兒島より漸々加勢の兵馳來りけれは、城中俄と騷き立て、兎角す
  • 702,632,63,2230は深手を蒙り臥けるを、郎等走續て肩と掛け、御方の陣と引退く、本より大勢の籠城な
  • 1128,623,63,2240れと、手配定らすと見すましけれは、唯一攻こ攻よとて、鹿兒島の軍兵早切岸の涯まて
  • 1340,621,62,2243勢を〓り、城中鳴を謐めて、櫓の上より遠矢はかりを射掛けつゝ、墓〳〵敷事はなかり
  • 593,624,63,2241らねは、餘多の勢を討れ、なしかはもつて叶ふへき、其夜の子の尅計こ、城の大将伊地
  • 807,617,64,2253餘人、寄手の内こも、肥後平三郎・桑波田孫太郎・河野玄蕃討死す、伊集院源助なる者
  • 1786,633,59,2230こ與し、叛逆を企るの条、奇怪の至也、此序を以て、根葉を絶して、後昆の〓を除かる
  • 1449,619,60,2250卷きて、興の聲をそ揚たりける、城中よりも吐氣を合せて、しばしか程は戦ひしか、小
  • 384,622,56,372武士を籠置き、
  • 486,618,61,2235知美作守を初め、蜜と城を落行ける、中務太輔家久城中こ入替り、法度を定め、守衞の
  • 1677,630,58,2207べしと、衆評一决し、頃は天正元年癸酉九月廿六日の夜半と艤し、同廿七日の曉天こ、
  • 1557,812,61,2050といへる所こ著岸あり、且らく爰と陣を搆へ、直こ軍勢を進め、早崎の城を取
  • 1566,628,51,101早崎
  • 247,625,96,2239〔箕輪伊賀自記〕天正元年〓酉九月廿七日に、瀬戸村の向へなる早崎と云処ヒ著陳
  • 408,1023,46,427○下略、大正元年三月
  • 367,1022,43,350十八日ノ條ニ收ム
  • 1596,754,38,38
  • 1552,755,39,54水、
  • 502,252,43,207島津家久小
  • 459,252,40,203濱城ニ入ル
  • 1904,761,43,411貳龜三年九月二十七日
  • 1902,2409,41,108一五四

類似アイテム