『大日本史料』 7編 22 応永22年正月~同年8月 p.171

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十人ありとなんいへり、, を得へしと請ひけり、國司許し給ひしかは、正尚父子手勢を卒ひて馳せゆき、強弓を以, 後、小倭谷二箇所の地を賜り、此より舟木の所領十六郷に及ひ、侍・地下人共に四百三, の水の手を斷ちきりけれは、城中俄に難儀に及はんとす、然るに國司も亦手たてをなし、, 拒き給へは、京軍攻め拔くこと能はす、いたつらに日を送りて、退屈の色をそあらはし, ける、城兵是を見て、夜撃してこれを惱ましけれは、京軍こらへす、殆んと引退かん用, 櫓の前に馬共立ならへ、柄杓をもつて桶より白米をくみあけ、馬にそそきかけて、洗ふ, り、此をはしめとして、父子しは〳〵勇戰をなしけれは、國司御感淺からす、事はてゝ, か如くせしめらる、寄手是を見て、水あくまてありと思ひて、水の手の守を解きけれは、, て、さしつめ引つめさん〳〵に射たて、多く敵を殺しけれは、敵こらへすして引去りけ, 意しけり、時に此城水の乏しきを窺ひ知り、大將持盆きつと計ことをめくらして、四方, 城中また水乏しからすして、守禦ます〳〵かたかりき、此より後世人、此城をは白米城, み出て國司に申すには、敵頗る勝に乘れり、されと臣等父子に命せられなは、一戰に利, に乞ひけるに、舟木左衞門佐正尚及ひ其子左衞門尉正頼搦手の大將としてありしか、進, さる程に、城高山の上に在て、險阻なるか上に、國司よく, 系圖', 舟木, 應永二十二年四月四日, 一七一

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  • 應永二十二年四月四日

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注記 (19)

  • 1108,672,54,596十人ありとなんいへり、
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