『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.855

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て改葬す、室は久松佐渡守俊勝か女、東照宮異父同母の御妹なり、天正十, にあらたむ, 收納のうち、三千二百石を清定に分ちあたふ、この年、從五位下玄蕃頭に, 敍任す、八年二月、將軍宣下拜賀の御參内に供奉す、十年、清定死するのゝ, 八年十月十七日逝す、年二十二、月窓貞心天桂院と號す、武藏國八幡山に, 八幡山を轉して三河國吉田城をたまひ、加恩ありて三萬石を領し、その, 葬り、一宇を建て天桂院となつく、のち、三河國吉田にうつして其地に改, ふ、則其地に改葬す、大猷院殿より寺領十石餘を寄附せらる、, 葬し、慶安二年、清昌かときに、西郡の全榮寺を合せて龍臺山天桂院とい, 霜清寶院と號す、吉田の全榮寺に葬り、男清昌かとき、寺を西郡にうつし, ち、其釆地をかへしおさむ、十五年十二月二十一日卒す、年四十五、葉雲全, のち、台徳院殿の御前にをいて元服し、御諱字をたまひ忠清と名のり、從, に、尾張國清洲の城番をつとめ、また、同國犬山の城をうけとる、六年二月, 五位下民部大輔に敍任す、このとき、左文字の御刀をたまふ、のち、玄蕃頭, 忠清母は俊勝か女、天正十三年、竹谷に生る、慶長十五年、遺領を繼、, 慶長十五年十二月二十一日, 六歳、, 時に十, 略, ○下, 天桂院, 全榮寺ニ, 天正十八, 七日夫人, 年十月十, 葬ル, 久松氏死, 忠清, ス, 八五五

割注

  • 六歳、
  • 時に十
  • ○下

頭注

  • 天桂院
  • 全榮寺ニ
  • 天正十八
  • 七日夫人
  • 年十月十
  • 葬ル
  • 久松氏死
  • 忠清

ノンブル

  • 八五五

注記 (30)

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