『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.872

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淺草にうつさる、, へられ、すへて二萬千石を領し、與力二十五騎、同心百人をあつけらる、十, 一年正月、東照宮、武藏相模兩國に至らせたまひ放鷹あり、かつてこの地, 清成、青山忠成か許すところなるよし申もの有しかは、御氣色甚よから, す、この事台徳院殿の御聽に達し、二十五日御勘氣かうふり、すてに重科, るへき料の繩、引捨たるを御覽あり、その故を問せらるゝのところ、内藤, は年毎に遊獵あるにより、ことに鳥獸の獵を禁止せらる、ときに鳥をと, に附屬をられ、傅となる、十八年洛にのほらせたまふのときしたかひた, 東諸務の事を奉行すへきむね仰をかうふる、慶長六年, 戸崎領、下總國海上郡、上總國戌東郡領のうちにをいて一萬六千石を加, れて籠居せしめらる, 常陸國江, 十三年十月二十日卒, てまつり、八月、相模國東郡のうちにをいて、〓地五千石をたまふ、文禄三, にも處せらるへきのところ、本多正信かはからひにより、其罪を宥めら, す、年五十四、照譽峯月孤光院と號す、神田の西福寺に葬る、のちこの寺を, 從五位下修理亮に敍任す、のち本多佐渡守正信とゝもに、關, 年, 慶長十三年十月二十日, ○コノ事、十一年正月二十五, 日ニ其條アリ、參看スベシ, 今の呈譜, 慶長八年, 今の呈, 譜八年, 清成ノ葬, 地, 秀忠ノ傳, トナル, 八七二

割注

  • ○コノ事、十一年正月二十五
  • 日ニ其條アリ、參看スベシ
  • 今の呈譜
  • 慶長八年
  • 今の呈
  • 譜八年

頭注

  • 清成ノ葬
  • 秀忠ノ傳
  • トナル

ノンブル

  • 八七二

注記 (30)

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