『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.375

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安寺に葬る、室は阿部道金某か女, 三方原の合戰に、〓と戰て疵をかうふり、甲首一級を得たり, おさめむやとて、すなはち其黄金をたまふ、其後駿府に於て、譜第の士忠, 一繼をしてこれをいたはり、早く岩槻城に越へしとなり、清長妻、一繼に, 江國小山城を攻たまふにより、九月十五日勝頼後詰として大井川の邊, 路次駿河國を過るの時、清長か妻子猶田中城にありしかは、堀田若狹守, 清長さきに造りし軍船の費用をはかり、餘る所の黄金二十枚をたてま, 屋に至りたまひ、清長をして朝鮮渡海の軍船を造らしめらる、還御の後、, 酒盃をすゝめ其恩命を謝す、文祿元年朝鮮征伐の時、東照宮肥前國名護, 三年五月二十一日、長篠の役に、武田勝頼の將興津某をうちとる、八月遠, 勤なるもの七八人を撰はれ、本渡の眞壺をたまふ、清長も其列にあり、慶, つりしかは、東照宮の仰に、汝か淳直なるうたかふことなし、何そこれを, 太閤庭前の萩を見て、和歌を詠してこれをたまふ、既にして太閤歸洛の, 長十三年正月二十六日卒す、年七十九、廓譽道鎭快光院と號す、岩槻の淨, 天正, 正長母は道金某か女、永祿元年三河國に生る、元龜三年十二月二十二日、, 卒ストアレドモ、誤ナルヲ以テ採ラズ, ○略譜二ハ、慶長五年十二月二十六日, 五歳, 時に十, 卒, 朝鮮渡海, ノ軍船ヲ, 清長ノ葬, ヲ賜フ, 地淨安〓, 秀吉和歌, 造ル, 正長, 慶長十三年正月二十六日, 三七五

割注

  • 卒ストアレドモ、誤ナルヲ以テ採ラズ
  • ○略譜二ハ、慶長五年十二月二十六日
  • 五歳
  • 時に十

頭注

  • 朝鮮渡海
  • ノ軍船ヲ
  • 清長ノ葬
  • ヲ賜フ
  • 地淨安〓
  • 秀吉和歌
  • 造ル
  • 正長

  • 慶長十三年正月二十六日

ノンブル

  • 三七五

注記 (31)

  • 759,727,58,996安寺に葬る、室は阿部道金某か女
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