『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.813

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うけて助け來り、ともに奮戰し、終に彼船に火をかけ燒討し、蠻人等三百餘, 有馬晴信慶長十四年十二月、蠻船長崎にい, し、また大坂兩度の御陣にもしたかひたてまつる、其後病によりて仕を辭, り、九日、また兵船を催すのところ、これを見てのかれさらんとす、しかるに, しきこゆ、今來舶するところは、彼ものともなれは、晴信に命してこれを討, しんによろ、かむたんなといへるもの、姦謀をもつて數百人を燒殺せしよ, し、居宅の地をたまはりて京師に住す、これよりさき、東照宮より唐花布の, て、船主あんしんを討取、のち攝津國の御代官となり、多田銀山の事を奉行, しめらる、晴信謀をもつて鑒にせんとすといへとも、蠻人上陸せさるによ, 御羽織ならひに蓮花王の茶壺をたまはる、寛文五年三月二十七日死す、法, 逆風起てその船を吹〓せしかは、やかて彼船に漕よせ攻たゝかふ、家臣等, 矢炮にあたりて討死するもの多し、このとき長谷川左兵衞藤廣、樓船をま, たる、これさきに長崎の商人、阿媽港にいたりて交易するのところ、彼地の, 小舟二艘をならへ、俄に井樓をくみて一大船とし、彼船に漕著のりうつり, 〔寛政重修諸家譜〕, 名賢白、, 七百四, 十五, 死去ノ年, 月, 晴信, 慶長十四年十二月九日, 八一三

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注記 (23)

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