『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.101

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

るといへとも、長政父子き、ひたすら志を通したてまつるかゆ〓に、凶徒, しとなり、こゝにをいてやむ事を得たまはすして、武藏國府中に閑居せ, てまつるへし、幸長き我先陣たるへしとの仰をかうぬる、八月二十八日, り、台徳院殿、木曾路御進發をむかへたてまつり、はかりことをたすけた, ふ、後、三成等、野心をさしはさみ、諸將をつたらひ、東照宮に叛きたてまつ, しめらる、これ、三成等相はかりて、前田利長國に在て叛心あり、土方勘兵, 國家の騷動やむ事あるへからす、彼をして封地に蟄居せしめたまふべ, とく歸朝するにをよひて、諸將に太閤の遺言を傳へ、遺物をわかちあた, 衞雄久、大野修理亮治長等も、東照宮を窺ひたてまつるのよしをつけ、長, 政、幸長御供にありしを御前にめされ、長政きすみやつに甲斐國にかへ, 政もこれにくみせるの旨を讒せしによりてなり、五年、上杉景勝御征伐, として、下野國小山に陣したまふのとき、三成か謀反の告ありたれき、長, らす、四年夏に至り、三成等東照宮に訴へ申けるき、長政伏見に居住せは、, 等か計策もれて、事ならす、是より、諸將彼に與し、これに背きて、上下穩な, 日に歸國すへきのよし告あり、兩人よろこひて相待事數日、總軍ことこ, 慶長十六年四月七日, 長政ノ武, 藏府中閑, 居, 慶長十六年四月七日, 一〇一

頭注

  • 長政ノ武
  • 藏府中閑

  • 慶長十六年四月七日

ノンブル

  • 一〇一

注記 (21)

  • 1576,701,61,2147るといへとも、長政父子き、ひたすら志を通したてまつるかゆ〓に、凶徒
  • 1107,696,58,2147しとなり、こゝにをいてやむ事を得たまはすして、武藏國府中に閑居せ
  • 286,693,57,2160てまつるへし、幸長き我先陣たるへしとの仰をかうぬる、八月二十八日
  • 403,696,58,2138り、台徳院殿、木曾路御進發をむかへたてまつり、はかりことをたすけた
  • 1692,701,59,2131ふ、後、三成等、野心をさしはさみ、諸將をつたらひ、東照宮に叛きたてまつ
  • 989,693,57,2153しめらる、これ、三成等相はかりて、前田利長國に在て叛心あり、土方勘兵
  • 1224,693,59,2137國家の騷動やむ事あるへからす、彼をして封地に蟄居せしめたまふべ
  • 1810,703,60,2137とく歸朝するにをよひて、諸將に太閤の遺言を傳へ、遺物をわかちあた
  • 870,693,59,2153衞雄久、大野修理亮治長等も、東照宮を窺ひたてまつるのよしをつけ、長
  • 519,690,60,2138政、幸長御供にありしを御前にめされ、長政きすみやつに甲斐國にかへ
  • 754,692,59,2156政もこれにくみせるの旨を讒せしによりてなり、五年、上杉景勝御征伐
  • 637,698,57,2146として、下野國小山に陣したまふのとき、三成か謀反の告ありたれき、長
  • 1342,700,57,2155らす、四年夏に至り、三成等東照宮に訴へ申けるき、長政伏見に居住せは、
  • 1460,692,58,2151等か計策もれて、事ならす、是より、諸將彼に與し、これに背きて、上下穩な
  • 1928,696,58,2144日に歸國すへきのよし告あり、兩人よろこひて相待事數日、總軍ことこ
  • 183,690,42,384慶長十六年四月七日
  • 1152,251,40,169長政ノ武
  • 1108,248,40,173藏府中閑
  • 1065,249,37,37
  • 183,690,42,384慶長十六年四月七日
  • 184,2440,42,97一〇一

類似アイテム