『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.515

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るゝの旨、御朱印を下され、十二月九日、同國岩崎のうち、四十七貫八百文, 營にめされ、忠功の甲乙を糺され、平原宮内某にも、本領をたまはるへし, の本領安堵の御朱印をたまふ、このとし、甲信兩國の諸士を、甲府の御陣, 甲斐國の士四十騎をひきゐて、先手にすゝむ、このとき、妻子を人質とし, 同十八庚寅、關東御入國以後、舊郷辻村ニ寓居シ、甲斐ノ國主淺野長政ヨリ, 國の案内者となる、盛昌その地理に委しきにより、仰をうけたまはりて、, てしてまつりしかは、八月七日、甲斐國曲金にをいて、新知百貫文宛行は, 部下ニ於テ、勇敢ノ譽人口ニ膾炙シ、天正十壬午年以來、神君ニ仕ヘケルガ, 扶助ヲ得ル、又、慶長五庚子年ヨリ、郡内ノ邑主鳥居土佐守成次ガ、合力ヲ得, 武田家沒落のゝち、めされて東照宮の御摩下に列し、蘆田に屬して信濃, 盛昌母は武田家の臣小幡山城虎盛か女、信玄及ひ勝頼に仕ふ、天正十年、, ルト云、, 辻守良, 慶長十七年三月二十日, 兵衞, 六郎, 千四百, 九十七, 盛昌彌兵衞、, 盛房, 本領安堵, ノ未印ヲ, 辻氏ノ系, 家康二屬, 賜フ, ス, 慶長十七年三月二十日, 五一五

割注

  • 兵衞
  • 六郎
  • 千四百
  • 九十七
  • 盛昌彌兵衞、
  • 盛房

頭注

  • 本領安堵
  • ノ未印ヲ
  • 辻氏ノ系
  • 家康二屬
  • 賜フ

  • 慶長十七年三月二十日

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  • 五一五

注記 (28)

  • 500,717,62,2149るゝの旨、御朱印を下され、十二月九日、同國岩崎のうち、四十七貫八百文
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