『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.54

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す、次郎左衞門尉此一戰に利を得て、一城堅固たりと雖とも、始終こらへかたく覺, 及て、那須境關和久の城を、, へけれは、佐竹へ斯と告る、佐竹義昭これを聞て、彌白川へ發向有へしと、嫡子常, 非輩なる義親を責伏させては、縁〓のかひもなし、後の聞へいかなれはとて、蘆名修, 理大夫盛氏自ら馬を出して、後詰として白川表へ出張す、盛氏の先手平田左京亮・, 陸介義重を大將として、茂武左馬助・同和泉守・河合甲斐守を始として、其勢三千, して、一千余騎備を固て陳をとり、會津にも佐竹白川へ發向の由風聞しけれは、若, 餘騎下野より廻て、那須勢を先立て、白川へ發向有へしとなり、此由白川にても聞, 騎當千の兵とも三十六騎、三の丸にて一處に打れけり、白川勢終に打崩されて敗北, 同下總守・猪苗代彈正盛國・嫡子盛, 堅固nして、關の明神の山に付候を置て、中畠上野介・石橋薩摩守・舟尾彈正を先と, 同周防守・同尾張守・富田美作守・松本伊豆守・佐瀬大和守・中ノ内式部大輔・沼, 鵜浦甲斐守・三橋越中守・三坪大藏少輔等各先登にすゝ, 胤、, 津出雲守・澤井備前守・新國上總介、, み、白坂迄出陣す、佐竹の先手出向て、少々小せり合ひ有といへとも、未花々しき, 今地勢を見るに、關和久村は那須の界にはなし、むかしは此むらの在る處、國, 岩瀬郡長, 花押は(花押影)とあり, 四家合考古文書等種に作ル、, 沼城主, 界にて有しにや、下に擧置四家合考にも、那須國界關和久といふ事見へたり、, 天正二年二月六日, 五四

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  • 今地勢を見るに、關和久村は那須の界にはなし、むかしは此むらの在る處、國
  • 岩瀬郡長
  • 花押は(花押影)とあり
  • 四家合考古文書等種に作ル、
  • 沼城主
  • 界にて有しにや、下に擧置四家合考にも、那須國界關和久といふ事見へたり、

  • 天正二年二月六日

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  • 五四

注記 (24)

  • 1687,682,70,2151す、次郎左衞門尉此一戰に利を得て、一城堅固たりと雖とも、始終こらへかたく覺
  • 1184,685,60,707及て、那須境關和久の城を、
  • 1561,698,72,2135へけれは、佐竹へ斯と告る、佐竹義昭これを聞て、彌白川へ發向有へしと、嫡子常
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