『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.53

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て、白川勢込入けれは、次郎左衞門は雜兵三十計に成り、本丸一ツを頼、矢種を惜, の城に押よせて、火水に成れと責たりけり、淺川も身命を捨て防戰ふ、信濃守自楯, 式部等我劣らしと討るゝものを乘こし、揉にもんて責戰ふ程に、淺川城即時に乘破, 百余人にて、同音に鬨の聲を揚て、とつと〓て出けれは、寄手一度に捲り落され、, ます鐵炮・玉藥を限に射立打立けり、白川勢も精力疲れて、少し猶豫してミへたる, て、度々白川勢を手強く當りけれは、義親を從へんと、多年軍兵を遣し責るといへ, 栗毛といふ馬に黒鞍置て打乘、鶴の紋出たる白地の大旗を眞先へすゝみて、其勢八, り、白川へ亂入らんとす、白川義親は斑目信濃守に先陣させて、其勢貳千餘騎淺川, 聞て、我旗下城容易に責伏させては無念の事なりとて、既に常陸を發し、下野へ迴, 處に、次郎左衞門緋威の鎧に、高角打たる甲の緒をしめ、金作りの太刀を帶、源太, と境を爭ひ、合戰止時なし、石川の一統淺川次郎左衞門といふ者は、武勇の名あり, を引そはめて、息なつかひそ者共とて、眞先に喚て掛入、白川勢大和田右近・白石, 討るゝもの數を不知、中にも大和田右近・濱尾十郎・白石式部・志田玄蕃頭等、一, とも、城堅固にして陷らす、淺川は常陸の佐竹義昭旗下に屬しけれは、佐竹此由を, テ淺川城ヲ, 義親ノ兵本, 二千餘騎二, 淺川次郎左, 攻ム, 丸二逼ル, 衞門奮戰シ, テ義親ノ兵, ヲ破ル, 天正二年二月六日, 五一

頭注

  • テ淺川城ヲ
  • 義親ノ兵本
  • 二千餘騎二
  • 淺川次郎左
  • 攻ム
  • 丸二逼ル
  • 衞門奮戰シ
  • テ義親ノ兵
  • ヲ破ル

  • 天正二年二月六日

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  • 五一

注記 (25)

  • 883,685,78,2158て、白川勢込入けれは、次郎左衞門は雜兵三十計に成り、本丸一ツを頼、矢種を惜
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