『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.334

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之人數五百人はかりふれいたし候て、我等ところへおしかけ、りひなし, かさい八拾たうはかりとられ申候、家まてとり、さくも半分とられ候て、, 八日町村をのけ申樣ニ御申候得共、備後守樣御かつてんなく候て、清左, て、御奉行衆、殿樣之御意を以、備後守樣之御代官にて、八日町村へ御なを, りやうけんなく候之間、宇都ノ宮まて參候て、備後守樣を奉頼、これまて, 御給人中ゟ頼いられ、備後守樣へ、いろ〳〵わひ事御申候て、清左衞門を, し被成申候ニ、彼かもん、八日町之御給人中へからくり、高野彌五郎樣を, 百姓共へにくまれ候時分、彼かもんさいをふり、大しやうに罷成、西川沼, に、ちやくしの子廿五ニ罷成候物を、ころされ申候、殊ニ下人三人、馬三疋, 一越後之御世八日町村と、西川沼之内拾五村之肝煎を、松木内匠殿ゟ被仰, 付候、然者、御國替之とき、越後殿樣、米さわへ御越之とき、六度迄、夫てん馬, を御あて被成候、其夫てん馬六度なから、十五村ゟふれいたし申候得者、, 御供申候て、若松にで御目安を備後守樣奉頼、半兵衞樣、左近樣へ上申候, 衞門は、御奉行衆、殿樣之御意を以、なをし候之間、さらは給人中より、すみ, 乍恐書物を以申上候, (岡重政), 肝煎ノ訴, 八日町村, 慶長十八年雜載, 三三四

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  • 肝煎ノ訴
  • 八日町村

  • 慶長十八年雜載

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  • 三三四

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