『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.529

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

〔附録〕, 正を被遣、御陳謝有之、則大佛供養を被留、鐘の銘もすり消被申候由、銘の作, 公調伏の文也と云事風聞す、同廿九日、大坂え此段聞召、秀頼公より片桐市, 者鑑長老閉門す、落書有、, 寺僧清韓長老、作大佛殿鐘銘、其詞中有不協大神君之御旨者、使先生議之、清, 之御用にて御座候哉不知也、伊賀守京都に被居候故、一年ニ一二度宛上方, よしあしの何はの事も鑑長老たゝ秀頼の運乃つきか手, 夜を日ニついて罷下候へは、大御所御憤深して、清韓長老一ツ書取上させ, 給はす、不屆之由御立腹ニ而、韓長老は彦坂九兵衞ニ御預被戌、度々本多上, 慶長十九年甲寅、先生三十二歳、豐臣秀頼使東福, 趣を駿府へ罷下可申上由、大坂ゟ被仰付、市正家老梅戸忠介と申者を相添、, 〔慶長見聞書〕五七月の頃、洛陽の大佛鐘銘國家安康にしてと有、是家康, 野介宅へ被召寄穿鑿也, 〔羅山先生集附録〕, 京都へは板倉内膳を被遣候、大坂の事ニ付て被遣候也、別, 諸士軍談, 〔羅山先生集附録〕年譜慶長十九年甲寅先生三十二歳、豐臣秀頼使東福, 韓被罪、, 明士軍談〕冽上京都へハ板倉内膳を被遣候、大坂の事ニ付て被遣候也、別, ○此時清韓駿府二抵ラズ、本書誤ナラン、, ナホ、本月二十七日ノ條ヲ參看スベシ、, ○上, 略, 年譜, 〇, 慶長十九年八月十八日, 五二九

割注

  • ○此時清韓駿府二抵ラズ、本書誤ナラン、
  • ナホ、本月二十七日ノ條ヲ參看スベシ、
  • ○上
  • 年譜

  • 慶長十九年八月十八日

ノンブル

  • 五二九

注記 (27)

  • 548,756,76,202〔附録〕
  • 1249,581,64,2209正を被遣、御陳謝有之、則大佛供養を被留、鐘の銘もすり消被申候由、銘の作
  • 1365,582,63,2204公調伏の文也と云事風聞す、同廿九日、大坂え此段聞召、秀頼公より片桐市
  • 1142,576,57,710者鑑長老閉門す、落書有、
  • 785,579,64,2209寺僧清韓長老、作大佛殿鐘銘、其詞中有不協大神君之御旨者、使先生議之、清
  • 319,569,62,2207之御用にて御座候哉不知也、伊賀守京都に被居候故、一年ニ一二度宛上方
  • 1021,654,60,1700よしあしの何はの事も鑑長老たゝ秀頼の運乃つきか手
  • 1830,579,65,2207夜を日ニついて罷下候へは、大御所御憤深して、清韓長老一ツ書取上させ
  • 1712,580,67,2208給はす、不屆之由御立腹ニ而、韓長老は彦坂九兵衞ニ御預被戌、度々本多上
  • 901,1361,59,1427慶長十九年甲寅、先生三十二歳、豐臣秀頼使東福
  • 1944,584,66,2218趣を駿府へ罷下可申上由、大坂ゟ被仰付、市正家老梅戸忠介と申者を相添、
  • 1473,528,94,2270〔慶長見聞書〕五七月の頃、洛陽の大佛鐘銘國家安康にしてと有、是家康
  • 1608,582,54,702野介宅へ被召寄穿鑿也
  • 888,539,101,570〔羅山先生集附録〕
  • 434,1072,62,1712京都へは板倉内膳を被遣候、大坂の事ニ付て被遣候也、別
  • 420,550,97,319諸士軍談
  • 890,531,100,2270〔羅山先生集附録〕年譜慶長十九年甲寅先生三十二歳、豐臣秀頼使東福
  • 678,574,56,210韓被罪、
  • 422,601,97,2184明士軍談〕冽上京都へハ板倉内膳を被遣候、大坂の事ニ付て被遣候也、別
  • 1628,1304,47,1209○此時清韓駿府二抵ラズ、本書誤ナラン、
  • 1584,1315,45,1121ナホ、本月二十七日ノ條ヲ參看スベシ、
  • 470,944,41,107○上
  • 427,941,44,38
  • 893,1156,42,114年譜
  • 471,943,38,36
  • 220,643,43,422慶長十九年八月十八日
  • 215,2369,44,123五二九

類似アイテム