『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.7

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其節御筆之御色紙頂戴仕候由申傳、所持仕候、右御筆之寫、, 之頃、城州木津迄着御之節、故有〓秀政ヲ被爲召、南都え可被爲入之由蒙上, との旨にて、即義直卿, 而一覽あるへき也、奈良は區多し、幸の事なれは、春日社なと見物あるへし, 十五日, ノ刻台徳公、伏見ノ城ヲ御出馬有テ、河州交野郡牧方ニ着御、兼々同朋筑阿, 〔紀藩無名書〕, へも御立寄なく、直に奈良へ御通り、則御前へ御出あり、上意には、珍敷所初, へ赴ク、尚々木津ヲ御陣所ト知ラセン爲ニ、駄馬雜卒ハ皆貽シ置ル、同日卯, 彌經營スル茶亭ヲ以テ御本陣トセラレテ、弓銃ノ卒ヲ、態ト後陣ニ置玉フ、, 意、直ニ御旅行供奉仕、秀政宅え奉成入御、一夜御快被遊御止宿、厚奉〓應候、, 神君二條を御出陣、木津御泊, りと定る所、俄に奈良え御越、中坊左近所に、御一宿、公御供、木津にては、御宿, 御同伴にて、所々緩々と御遊覽、然れ共、何の御用心かま, しき御樣子もなし、夜ニ入御歸, 慶長十九年十一月、攝州大坂え、權現樣御進發, 〔中坊氏系圖〕秀政, 〔中坊氏系圖}秀政監〓、飛慶長十九年十一月、攝州大坂え、權現樣御進發, ○朝野舊聞哀稿, 七百二十所載, ○朝野舊聞哀稿七百二十ニ「按するに、奈良, せしは不審なり」トアリ、義利ノ二條城, 十二日、木津八幡邊に宿陣せらる、此日御先備にて此, ○朝野舊聞哀稿七百二十ニ「按するに、右兵衞督殿は、, 左近、飛, 地に止宿せられし, とえり一トアリ, 騨守、, にて〓せられて後、近郷を遊覽ありしと記, ヲ發セシコト、本月十二日ニ其條アリ, 一月, ○十, 從ス, 家康ニ扈, 頼將義利, 徳川頼將, 秀政ノ郎, 奈良遊覽, ニ宿ス, ノ宿營, 家康中坊, 秀忠枚方, 慶長十九年十一月十五日, 七

割注

  • ○朝野舊聞哀稿
  • 七百二十所載
  • ○朝野舊聞哀稿七百二十ニ「按するに、奈良
  • せしは不審なり」トアリ、義利ノ二條城
  • 十二日、木津八幡邊に宿陣せらる、此日御先備にて此
  • ○朝野舊聞哀稿七百二十ニ「按するに、右兵衞督殿は、
  • 左近、飛
  • 地に止宿せられし
  • とえり一トアリ
  • 騨守、
  • にて〓せられて後、近郷を遊覽ありしと記
  • ヲ發セシコト、本月十二日ニ其條アリ
  • 一月
  • ○十

頭注

  • 從ス
  • 家康ニ扈
  • 頼將義利
  • 徳川頼將
  • 秀政ノ郎
  • 奈良遊覽
  • ニ宿ス
  • ノ宿營
  • 家康中坊
  • 秀忠枚方

  • 慶長十九年十一月十五日

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注記 (44)

  • 294,640,59,1730其節御筆之御色紙頂戴仕候由申傳、所持仕候、右御筆之寫、
  • 527,643,60,2225之頃、城州木津迄着御之節、故有〓秀政ヲ被爲召、南都え可被爲入之由蒙上
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