『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.370

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屋代を突んとするを、甚三郎ニ付たる山本十郎左衞門刀を抜、鑓を切、太刀, の柵越に迫相候、羽織着たる敵、羽織を〓片手に持て居たるを、治右衞門鑓, 泉守鳥毛の棒の指物にて鑓を横たへ、爰は除場にてはなし、比興なる夏共, 候、和泉をは屋代甚三郎鑓付、首を取候所を、大谷式部と云大坂者鑓をかけ、, にて二三人も大坂勢討れ、大谷式部も討死、安藤治右衞門も道筋の右沼涯, 込候、牛瀧八人組も矢野和泉、飯田左馬允か兩組も、早二ノ柵へ崩込候を、和, の大將梅津半右衞門一番鑓を合、澁井内膳一番高名也、屋代甚三郎繼て押, 候キ、御詞ニは似不申と詞を懸、其儘柵を踏破押込候時、佐竹家老其日先手, 門かふとの上をする程に打越と、治右衞門はひたと伏を見テ、玉筋能と心, 前ゟ柵へ付、跡を顧、治右はやつゝき候へ、日來は年若とて御自慢にて御座, 得、息をも不繼込替々々放かくる故、中々立あかる事不叶、右馬允、越中は、〓, 打ゟ下を切折、おれかゝりを十郎右衞門飛かゝり踏たるに折はなれ、そこ, 也、返し候へと押止候へ共、不止候故、和泉も、左馬允父子三人も踏止討死仕, 衞門は鮮華なる武者立にて、鑓提て走來候を、敵引請鐵炮を打懸候、治右衞, 付んとする、敵羽織を打懸くる〳〵と引卷、治右衞門十文字を奪取、柵の中, 慶長十九年十一月二十六日, 三七〇

  • 慶長十九年十一月二十六日

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  • 三七〇

注記 (17)

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