『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.579

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郎等をして此處をまもらしむ、ねかはくはしたかひたてまつらん、こゝに, をひて大權現これをゆるしたまふ、かるかゆへに長勝兵を率て〓下にあ, 權現樣え御目見仕、翌年台徳院樣え被爲附、奧ニ而御手水御番被仰付之、大, 番ニ〓罷在候、御番衆陣場割ニ、遠山六左衞門と親傳兵衞被仰付之、參候處, ゝまりまもるへしとのたまふ、長勝こたへたてまつりていはく、すてに我, 坂御陣之砌、伏見ゟ御出馬ニ付而、傳兵衞儀、渡邊山城守本組ニ而、伏見三年, ニ、市橋下總守知行所星田と申處ニ、山伏共數多罷有候、其節洛中ニ火付有, 本多康俊, 之由承候間、下總守ニ相斷、山伏共追拂、翌日五日、すなと申所御陣場割ニ、安, を出さるゝ乃とき、台徳院殿にしたかひたてまりり、また須那に陣し、五月, 元和元年、再ひ大坂に御陣, り、, 藤治右衞門參候ニ付、指圖を受、御番衆小屋割仕、同六日、平野之小屋割仕、, 〔寛政重修諸家譜〕, 親加藤傳兵衞, 〔譜牒餘録後編, 加藤孫左衞門, 彦八郎, 縫殿助, 三十小普請五, 略、七日ノ戰ノ, コトニ係ル、, 十四, 松平縫殿頭組ト, 六百八, 下, ○, 一松平縫殿頭組上加藤孫左衞門, 伏ヲ追放, 砂ノ陣場, 加藤傳兵, 割ヲ爲ス, 衞, 星田ノ山, 本多康俊, 元和元年五月五日, 五七九

割注

  • 彦八郎
  • 縫殿助
  • 三十小普請五
  • 略、七日ノ戰ノ
  • コトニ係ル、
  • 十四
  • 松平縫殿頭組ト
  • 六百八
  • 一松平縫殿頭組上加藤孫左衞門

頭注

  • 伏ヲ追放
  • 砂ノ陣場
  • 加藤傳兵
  • 割ヲ爲ス
  • 星田ノ山
  • 本多康俊

  • 元和元年五月五日

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  • 五七九

注記 (37)

  • 1790,636,60,2212郎等をして此處をまもらしむ、ねかはくはしたかひたてまつらん、こゝに
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  • 1202,635,63,2217權現樣え御目見仕、翌年台徳院樣え被爲附、奧ニ而御手水御番被仰付之、大
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