『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.996

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のり込被成、田の中ゟ鑓御遣被成候、長門守殿は上の畑より鑓御遣被成, 島と鑓御合被成、飯島を御つき被成候、ふけ田へたをれ申候を、飯島か家, 長門守殿家來佐藤八左衞門、中山庄助、平田市兵衞へ出向ひ、一足も不退, 來之高井田七右衞門と申者、飯島を肩に引かけ、五六町北の方へのき、肩, 終に長門守殿に御つかれ被成、ふけ田へ落馬被戌候を、住山三右衞門、伊, 高井田村ゟ出申候者にて御座候、弓の上手に付、長門守殿へ被召抱、冬陣, 其後伊豆守樣、長門守殿と暫く鑓御合被成、伊豆守樣はふけ田へ馬を御, 門、長門守殿の先に立て進出、伊豆守樣方ニは、長谷川兵左衞門尉と名乘, 鑓を合、伊豆守樣方にも、水野八十郎、水野儀太夫互に討死、伊豆守樣猶も, よりおろし手を尋候へは、息きれ申候、此三郎右衞門と申ものは、河内國, 伊豆守樣之御馬の先にて飯嶋と鑓合、飯島につかれ討死、又伊豆守樣飯, 強く御懸り被成候は長門守殿と鑓を合せんと被仰候處、飯島三郎右衞, 申候、一騎當千の者にて御座候得とも、伊豆守樣の御手に懸り相果申候、, 之鴫野合戰に矢數を射かひ〳〵布働仕候付、秀頼公ゟ御感状被下候由, 〓守樣を肩にかけ本陣に引退候、扨修理亮樣後陣に御ひかへ被戌候か, 元和元年五月六日, 重信重成, ニ討タル, 重信飯島, 三郎右衞, 門ヲ討ツ, 重政重信, ノ戰死ヲ, 聞キ奮ツ, 九九六

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  • 重信重成
  • ニ討タル
  • 重信飯島
  • 三郎右衞
  • 門ヲ討ツ
  • 重政重信
  • ノ戰死ヲ
  • 聞キ奮ツ

ノンブル

  • 九九六

注記 (25)

  • 403,715,62,2135のり込被成、田の中ゟ鑓御遣被成候、長門守殿は上の畑より鑓御遣被成
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