『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.995

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北の方に備御立被成、助右衞門殿の手敗軍の後、伊豆守樣眞先に御懸被, こち候得共、身方小勢にて大勢に取まかれては如何に御座候、一先大坂, 思ひ定め候得者、本陣ゟ一足も引間布そ、唯義を重んし命を戰塲にすて、, 被戌候所へ、伊豆守樣は所之案内は御存無之、其時分ふけ田の水ひ候て, と被仰合、掃部頭樣を御憑被戌、御先手庵原助右衞門殿の右之脇三町計, 敵陣に踏込高名し、名を後代に殘せと下知被成候得は、皆我先にとかけ, 者、扨も〳〵無比類御手柄ニ面御坐候、見申せは、方々に數多之敵勢みち, 上は堅田の樣に相見へ候、ふけ田の中に細道御座候、是より御懸被成候, へ御引可然と申候得者、長門守殿御申被成候は、大坂を出しより討死と, 度御用立不申はいつの世に御勘氣御赦免在へし、一番鑓して高名せん, 出、花々布軍して名を万天にあけんと死ものくるひに働申候由御座候, 戌候、長門守殿は南郡村乃ふけ田の中に小畑御座候、是へ態と出張待請, 陣え引、人馬の息をつかせ、軍の下知を被成候、其時飯島三郎右衞門申候, 一山口伊豆守樣御親父修理亮樣御父子共に、其頃は御牢人ニ〓御座候、此, 事、, 元和元年五月六日, 山口重政, 重戌死ヲ, 同重信, 決シ士卒, ヲ激勵ス, 重信奮戰, 元和元年五月六日, 九九五

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  • 山口重政
  • 重戌死ヲ
  • 同重信
  • 決シ士卒
  • ヲ激勵ス
  • 重信奮戰

  • 元和元年五月六日

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  • 九九五

注記 (24)

  • 631,706,59,2139北の方に備御立被成、助右衞門殿の手敗軍の後、伊豆守樣眞先に御懸被
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