『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.9

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

候へと被申しを、日根野氏氣ニあはぬ顏にて、そなしは越中殿と同し樣, 興君冑の物數寄を御頼被成けれは、昔は陣數多く御座候故、人の着たる, なくて戌兼候と御申有けれ共、とのく頼存候と被仰けれは、左候はゝ何, ニ頼まるるろ、そなたのむすこには、頭巾をかふらせておきやれと被申, るがひけなるに依て迷惑かられし也、其ひけにした事御褒美なされ、國, とそ分別しし拵て可進と被申し時、蜂須賀氏、私かせのれにも拵て給, を被下は、昔にかはりし事ニあはなきのと被仰候由、或時日根野氏へ忠, 御所樣より御褒美として、阿波守ニ淡路國を被爲拜領候時、忠興君被仰, 賀阿波守至鎭之手へ夜討したるに、阿波守者共、手ニ合能かりしとて、兩, を見て、夫に心付て物數寄も出しか、今は左樣の事も稀なれき、もとつき, 大坂冬陣の時、城中より塙團右衞門直之、米田監物是季兩大將にて、蜂須, 候き、當代の武篇は昔にかはる、蒲生氏郷か夜討うたれて、自身鑓をしら, 衞門か二男也、, れしを褒めたれき、のまへてほめて被下なと云れしは、夜討をうたれる, 陣之上、貳百石拜領と家の記ニ有、再考可仕候、右平三郎は初代の甚右, 元和元年七月一日, 蜂須賀至, 細川忠興, 鎭ヲ笑フ, 元和元年七月一日, 九

頭注

  • 蜂須賀至
  • 細川忠興
  • 鎭ヲ笑フ

  • 元和元年七月一日

ノンブル

注記 (21)

  • 397,701,70,2142候へと被申しを、日根野氏氣ニあはぬ顏にて、そなしは越中殿と同し樣
  • 864,700,66,2130興君冑の物數寄を御頼被成けれは、昔は陣數多く御座候故、人の着たる
  • 633,711,63,2128なくて戌兼候と御申有けれ共、とのく頼存候と被仰けれは、左候はゝ何
  • 284,714,65,2127ニ頼まるるろ、そなたのむすこには、頭巾をかふらせておきやれと被申
  • 1103,701,59,2131るがひけなるに依て迷惑かられし也、其ひけにした事御褒美なされ、國
  • 516,707,64,2133とそ分別しし拵て可進と被申し時、蜂須賀氏、私かせのれにも拵て給
  • 984,699,63,2134を被下は、昔にかはりし事ニあはなきのと被仰候由、或時日根野氏へ忠
  • 1445,695,65,2137御所樣より御褒美として、阿波守ニ淡路國を被爲拜領候時、忠興君被仰
  • 1561,694,65,2138賀阿波守至鎭之手へ夜討したるに、阿波守者共、手ニ合能かりしとて、兩
  • 747,704,65,2133を見て、夫に心付て物數寄も出しか、今は左樣の事も稀なれき、もとつき
  • 1676,693,65,2134大坂冬陣の時、城中より塙團右衞門直之、米田監物是季兩大將にて、蜂須
  • 1330,697,65,2133候き、當代の武篇は昔にかはる、蒲生氏郷か夜討うたれて、自身鑓をしら
  • 1792,765,57,421衞門か二男也、
  • 1217,704,62,2121れしを褒めたれき、のまへてほめて被下なと云れしは、夜討をうたれる
  • 1912,765,67,2053陣之上、貳百石拜領と家の記ニ有、再考可仕候、右平三郎は初代の甚右
  • 177,708,44,333元和元年七月一日
  • 1441,257,42,170蜂須賀至
  • 1486,254,40,173細川忠興
  • 1397,254,42,168鎭ヲ笑フ
  • 176,708,45,333元和元年七月一日
  • 189,2419,46,48

類似アイテム