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晩翠日抄ニ云, 同書云, 同書云, 下息三時て祖前のりらの〓る居坂人殿りる守仕兩被頼終落し, 城勝豐左の信可へ樣兒を妻て〓bをを大色に殿と侍中度:城に落大, 戸内にて西國の大名船渡にて、家老を手討にせんと怒る所ヘ行掛り、色, 元和元年五月八日, 討死わ供す〓〓けるに、案に相違しけれは、達〓辭退し、何分御供可仕と由, 活、これは〓方へ來りしる也と、何とやら合點のゆかぬ者といふ、主の妻謂, る〓、此度討死致候はゞ、妻子を兩人として片付くれよと被頼〓る、兩侍, て、さらは足のうらを見可申とて、寢入たると心得、火を灯て足のうらを, (被子時スと先御坂よう主りけて大壹守掛け前可る殿〓〓殿知, 法躰し、一夢といふ、一兩年して土州にて卒、勝長ハ慶長十九年、大坂の城, 究以後、兩壮す色々と才覺して、妻子達を片付置、西國の方へ下りけるに、瀬, 〓れ共、毛利許容なかりけれは、兩士無是非、畏候と受合〓り、扨豐前, 〓、被懶可申哉け有けれは、何成共受合可申と領掌す、其時豐前守殿被申, へ信前衞人長成罷子角來聞聞或る落先坂々濶討申をり事豐の近城坂, スと先御坂よう主りけて大壹守掛け, 籠城の時、侍二人の内壹人は、先, 大坂陣の時、毛利豐前守殿大坂, 公に仕て、武勇の達人、帆莚を差物にして、度々高名ス、時の人, 大坂, 毛利壹岐守勝信豐前小倉の城主本は森三左衞門とて、信長, 落城, 忽に散し、直ニ右の兩士を抱へらる, 門に小倉を賜て、隆景の旗下ニ被成、一氏に成候べとて、毛利に改子息豐{, の和家也、伊賀守をは家里流と申、藥方を少し宛違有之とさ、, 〓三左高門昇言、秀吉公〓隨て立身し、小早川隆景に筑前被下之時、三左衞, 〓打死と被極、城より被出〓る所へ、越中守樣馬上にて鑓を御合せ、終ニ豐, 〓〓、豐前守澱討死せられ乃れとも、何りの手ゑ被討取けるや不知しに、近, 年谷垣守翁、於武江、松平越中守樣御家の記録を被見しに、豐前守殿、落城の, 〓町〓間、〓に是へ出候樣に被仰、御上下を被下ける、モれを着て御前へ〓, 〓拶しけるに、其會釋宜、大名の怒氣, 円、御直ニ委細申上にる故、直ニ侍に被召出けると也、是志和又亟先祖, 守勝長、西國方故城地被召上、父子共に土佐國へ御預ケ、千石つゝ被下、勝信, 〓守殿被討玉ふ由、討死の前、於城中侍兩人に被申けるは、其方共に頼度事, 法躰し、一夢といふ、一兩年して土州にて卒、勝長は慶長十九年、大坂の城, 臣伊與木何某次の間にて聞しと也、家里和泉守といふは、家里〓, 〓る牡佐へ〓りけると、其後に久万の庄屋に成乃ると也、一人は大坂を落, 長へ候隆物主る下御逃心のへを邊成城坂せ目, 樣に、敵一人鑓にて〓殺して城を遁と出、中國邊へ行て身を隱して〓〓, るは、此度討死致候はゞ、妻子を兩人として片付くれよと被頼〓る、兩侍, 〓r以後、兩壮す色ヤと才覺し〓、妻子達を片付置、西國の方へ下りけるに、瀬, 内にて西國の大名船渡にて、家老を手討にせんと怒る所ヘ行掛り、色々, 候、被瀬可申哉せ有けれは、何成共受合可申と領掌す、其時豐前守殿被申, 筑て森是そ成難をぬ寢とてと侍時, 方城坂せ置候か付領被馬をゑ宛守, 出、御直ニ委細申上〓る故、直ニ侍に被召出, 券國成川差城け被公まと點ゆ美國〓籠大, 家に宿をかりて居るに、右の沙汰有けるゆへ、態と寢入たる振れにて點, して御國境へ迄來り、斷を遂のると也、忠義公御聞被成、其者に大坂の樣, ハ御へ景〓本とけ聞出得ゆ態被へクの陣ん西と, 〓、大阪〓人の穿鑿有て、捕たるをのには、褒美を被下との御觸有けるに、, て見、藷人〓相違なし、〓いふ聲しけまは、潛に逃出て難を逃れ、夫より兎名, 籠, を達無と合侍越家何方家, 元和元年五月八日, 二六二割注
- 籠城の時、侍二人の内壹人は、先
- 大坂陣の時、毛利豐前守殿大坂
- 公に仕て、武勇の達人、帆莚を差物にして、度々高名ス、時の人
- 大坂
- 毛利壹岐守勝信豐前小倉の城主本は森三左衞門とて、信長
- 落城
- 忽に散し、直ニ右の兩士を抱へらる
- 門に小倉を賜て、隆景の旗下ニ被成、一氏に成候べとて、毛利に改子息豐{
- の和家也、伊賀守をは家里流と申、藥方を少し宛違有之とさ、
- 〓三左高門昇言、秀吉公〓隨て立身し、小早川隆景に筑前被下之時、三左衞
- 〓打死と被極、城より被出〓る所へ、越中守樣馬上にて鑓を御合せ、終ニ豐
- 〓〓、豐前守澱討死せられ乃れとも、何りの手ゑ被討取けるや不知しに、近
- 年谷垣守翁、於武江、松平越中守樣御家の記録を被見しに、豐前守殿、落城の
- 〓町〓間、〓に是へ出候樣に被仰、御上下を被下ける、モれを着て御前へ〓
- 〓拶しけるに、其會釋宜、大名の怒氣
- 円、御直ニ委細申上にる故、直ニ侍に被召出けると也、是志和又亟先祖
- 守勝長、西國方故城地被召上、父子共に土佐國へ御預ケ、千石つゝ被下、勝信
- 〓守殿被討玉ふ由、討死の前、於城中侍兩人に被申けるは、其方共に頼度事
- 法躰し、一夢といふ、一兩年して土州にて卒、勝長は慶長十九年、大坂の城
- 臣伊與木何某次の間にて聞しと也、家里和泉守といふは、家里〓
- 〓る牡佐へ〓りけると、其後に久万の庄屋に成乃ると也、一人は大坂を落
- 長へ候隆物主る下御逃心のへを邊成城坂せ目
- 樣に、敵一人鑓にて〓殺して城を遁と出、中國邊へ行て身を隱して〓〓
- るは、此度討死致候はゞ、妻子を兩人として片付くれよと被頼〓る、兩侍
- 〓r以後、兩壮す色ヤと才覺し〓、妻子達を片付置、西國の方へ下りけるに、瀬
- 内にて西國の大名船渡にて、家老を手討にせんと怒る所ヘ行掛り、色々
- 候、被瀬可申哉せ有けれは、何成共受合可申と領掌す、其時豐前守殿被申
- 筑て森是そ成難をぬ寢とてと侍時
- 方城坂せ置候か付領被馬をゑ宛守
- 出、御直ニ委細申上〓る故、直ニ侍に被召出
- 券國成川差城け被公まと點ゆ美國〓籠大
- 家に宿をかりて居るに、右の沙汰有けるゆへ、態と寢入たる振れにて點
- して御國境へ迄來り、斷を遂のると也、忠義公御聞被成、其者に大坂の樣
- ハ御へ景〓本とけ聞出得ゆ態被へクの陣ん西と
- 〓、大阪〓人の穿鑿有て、捕たるをのには、褒美を被下との御觸有けるに、
- て見、藷人〓相違なし、〓いふ聲しけまは、潛に逃出て難を逃れ、夫より兎名
- 籠
- を達無と合侍越家何方家
柱
- 元和元年五月八日
ノンブル
- 二六二
注記 (58)
- 409,623,58,421晩翠日抄ニ云
- 1799,2514,52,204同書云
- 1097,1711,56,205同書云
- 184,2653,1598,55下息三時て祖前のりらの〓る居坂人殿りる守仕兩被頼終落し
- 127,2722,1731,58城勝豐左の信可へ樣兒を妻て〓bをを大色に殿と侍中度:城に落大
- 1192,651,58,2174戸内にて西國の大名船渡にて、家老を手討にせんと怒る所ヘ行掛り、色
- 1929,708,46,336元和元年五月八日
- 1356,648,59,2187討死わ供す〓〓けるに、案に相違しけれは、達〓辭退し、何分御供可仕と由
- 769,643,60,2187活、これは〓方へ來りしる也と、何とやら合點のゆかぬ者といふ、主の妻謂
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- 723,645,60,2129て、さらは足のうらを見可申とて、寢入たると心得、火を灯て足のうらを
- 177,2580,1613,54(被子時スと先御坂よう主りけて大壹守掛け前可る殿〓〓殿知
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- 1313,669,56,1982〓れ共、毛利許容なかりけれは、兩士無是非、畏候と受合〓り、扨豐前
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